温暖化、地球沸騰化時代などといわれている昨今。気候変動、北極の氷や氷河の融解、海水面の上昇などが危惧されていますね。
しかし地球の永い歴史上、幾度も大規模な海面上昇が起きたことを知っていますか? 正確には「海進」と呼ばれ、海面上昇や陸地の沈降によって海が陸に入り込んでくることをいいます。
8世紀から12世紀にかけて発生した海進のことを、世界では「ロットネスト海進」と呼んでいますが、日本では平安時代と重なるため「平安海進」と呼ばれています。ちなみに縄文時代には「縄文海進」が起こりました。
奈良時代初期の海水面は現在より約1メートル低く、8~12世紀までの4世紀の間、海水面は約1メートルの高低を繰り返したそうです。
大きく影響を受けたのは現在の関東平野部で、承平年間(931~938年)に著された『和名類聚抄』からは名前を消した集落があったり、『更級日記』では真野の長者の家(現千葉県市川市)が水没したとあります。
また、東京・上野の不忍池は海とつながっており、湯島天神の階段下はすぐ海で、かつては渡し舟が出ていたそうです。湯島の地名は「海から見ると、まるで島の様に浮かんで見えたから」という説があるほどです。
徳川家康が江戸の沼地を大きく埋め立てて都市開発したことは有名ですが、それにしても現在東京に住んでいる方にとっては、上野のすぐ近くまで海が入り込んでいたとは想像しがたいですね。
現在の湯島天神の坂(筆者撮影)

江戸時代の湯島天神(歌川広重、「名所江戸百景」湯島天神坂上眺望技法木版、安政3年)
■なぜ起こる?
海から蒸発した水が、北半球で氷床となるかどうかが影響するそうです。氷床が成長していくと海水準が低下し、融解すると水が海に供給されて上昇するという仕組みです。
ここ数十年は人間活動により氷床の融解が進んでいるとされていますが、人間が存在していなくても、地球はそれを繰り返しているものなのですね。
現在も地質学上は「間氷期」といって、氷期と氷期の間に挟まれた気候が比較的温暖な時期だそう。
■やっぱり暑かった平安時代

清少納言も暑さに参った?(清少納言、菊池容斎画、明治時代)
海進があったということは、平安時代も暑かったのではと思いますよね。
その通りで、この頃の地球は気象学でいう「中世温暖期」となっており、平安時代も30度を超える真夏日があったそうです。現在の様に気温計はないものの、木の年輪や文献での花見の様子などから推測されるとのこと。
ちなみに平安時代でも、夏の風物詩「かき氷」は食べられていたんです。
清少納言も食べていた!?夏の風物詩「かき氷」は平安時代は貴族たちの特権だった

その暑さは和歌にも反映されています。
歌のテーマの一つ「更衣(ころもがえ)」は、夏の初めに薄着に衣更えをすることを詠みます。貴族が着た夏用の衣服は肌の色が透けるほど薄かったものの、随筆『枕草子』ではその衣服一枚さえ暑苦しいと書かれています。
出会いや別れ、恋などの和歌が豊富な春や秋に比べて、夏という季節はやはり好まれなかったようです。「小倉百人一首」では、100首中たった4首しか夏の和歌がありません。
ちなみに「万葉集」には「なでしこの 花ちりがたに なりにけり わが待つ秋ぞ ちかくなるらし(撫子の花が散りかかっている。私が待っている秋が近くなっているらしい)」と、秋を待望する情緒のへったくれもない和歌があります。
いやー、嫌われてますね、夏…!
こうやって歴史をとらえると「気候変動」というのは私たち人間の小さな尺度では推し量れないものかもしれませんね。
参考:「地球の進化」(岩波地球惑星科学13)など
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