本作の家康をどう勘違いしたのか、そしてなぜ逆恨みに至ったのか、なかなかこじらせていらっしゃいました。
打倒徳川に燃えていたものの、家康の書状を読んで再戦の意志が萎えてしまった茶々。そこで我が子・豊臣秀頼(作間龍斗)に和戦の決断を丸投げしたところ……。
「共に乱世の夢を見ようぞ!」
えぇっ!?こっちはこっちで戦国乱世への憧れをこじらせていました。自分がカッコよく戦場を駆け抜ける姿を妄想する中二病みたいですね。
乱世の亡霊たちを引き連れて、憧れの君もとい神の君に最終決戦を挑む秀頼。実は一番の好戦家「乱世の亡霊」だったというオチでした。
家康はもう戦を終わらせたかったのに、まったくどいつもこいつも好戦的で困りますね。
さて、NHK大河ドラマ「どうする家康」も残すところあと2回。第47回放送は「乱世の亡霊」、今週も気になるトピックを振り返っていきましょう!
■初登場の大蔵卿局(大竹しのぶ)とは何者?
大竹しのぶのムダ遣い……そんな声が漏れ聞こえた今回。和平交渉の席で一言も発せず座っていた大蔵卿局は、いったい何で出てきたのでしょうか。
「いるだけで凄い存在感」なんて意見もあるようですが、それにしても今さら感でしたね。
この大蔵卿局は大野治長(玉山鉄二)の母で、茶々の乳母を務めた女性です。
豊臣秀吉(ムロツヨシ)の死後、正室の北政所(和久井映見)が大坂城を去ると、息子の治長と共に権力を握りました。
治長の謀叛により一度は追放されたものの赦されて再び舞い戻り、権勢を振るいます。
のち片桐且元(川島潤哉)とともに徳川との交渉にあたるも奏功せず、大坂夏の陣で秀頼らと共に自害して果てたのでした。
秀吉の死後まもなくから出てくるものかと思いきや、この段になって初登場。秀頼の自害には立ち会うのでしょうが、今から見せ場があるとも思えませんし、ほとんどモブと変わりませんね。
最期まで何も言わない可能性も……いや、鎌倉殿オマージュで、秀頼に「運命に逆らうな」などと言うかも知れません。
■初登場の常高院(初。鈴木杏)とは何者?
常高院(画像:Wikipedia)
NHKドラマ10「大奥」では、平賀源内の役どころで好評を博した鈴木杏。
その人気にあやかろうと、今まで姿を見せなかった浅井三姉妹の次女・初(常高院)として引っ張り出されました。
「何で私が……」
使者にされたのかって?そりゃ話題づくりのため……もとい茶々の妹で江姫(秀忠正室。マイコ)の姉だからです(諸説あり)。
さて、亡き浅井長政(大貫勇輔)とお市の間に生まれた彼女は、三姉妹の中で生涯最も多くの落城を経験した苦労人。
- 1回目:小谷城(実父・浅井長政)
- 2回目:北ノ庄城(継父・柴田勝家)
- 3回目:大津城(夫・京極高次)
- 4回目:大坂城(ご存じ秀頼)
本作では大奥オマージュで、竹とんぼなど出すのでしょうか(これはさすがに可能性低そう)。
■のぼりで名前だけ登場した塙団右衛門(塙直之)とは

塙団右衛門直行(画像:Wikipedia)
秀頼の前に居並ぶ牢人たち。画面の中に「塙団右衛門」と書かれたのぼり旗がありました。この塙団右衛門直之もまた、数々の武勲を立てながら戦国乱世を生き抜いた猛者たちの一人です。
その出自については諸説あり、加藤嘉明から小早川秀秋(嘉島陸)、松平忠吉(家康四男)・福島正則そして秀頼と主君を何度も変えました。
何か嫌になったらすぐに飛び出してしまう癇の強さと、それでもすぐに仕官先が見つかる武勇が分かりますね。
そんな団右衛門は大坂冬の陣において徳川方へ夜襲を仕掛け、大胆にも自分の名札(夜討ちの大将・塙団右衛門)をばらまいてきたという逸話の持ち主。
「覚えておくがよい、我こそは塙団右衛門なり!」
大坂夏の陣では慶長20年(1615年)4月29日に討死。同輩の岡部則綱と一番槍の武功を競い合ううちに乱戦となり、田子助左衛門の矢を額に受けたそうです。
落馬したところを八木新左衛門が首級を掻き切りました。彼もまた戦国乱世を生き抜いた亡霊の一人と言ったところでしょう。
なお、討死に際して団右衛門は自分の名前を大書した旗指物を背負っています。名前を出して小道具まで作ったと言うことは、最終回では塙団右衛門の大暴れを期待していいのでしょうか?
■真田信繁の掲げた六文銭、その意味は

三途の川の渡し賃。現代のレートだと大体120円くらい?(イメージ)
秀頼の決意を聞いて、大いに盛り上がる豊臣牢人団。その中にはもちろん真田信繁がおり、胸の六文銭を掲げていました。これは何を意味するのでしょうか。
真田の家紋が六文銭であり、それが三途の川(冥途)の渡し賃であることは有名ですね。そして、その渡し賃が意味するところはこうなります。
渡し賃がないと、三途の川を歩いて渡るしかありません。歩いて渡ると着物の裾が濡れて重くなり、それが罪の重さと見なされます。
無実の罪をかぶせられることを濡れ衣と言いますが、これがその由来です。
一方、渡し賃があれば濡れる必要がありません。だから罪も軽くてすみます。
よく六文銭は「俺は地獄に堕ちる覚悟だ」と解釈されがちですが、むしろ「俺は罪が軽くすむから極楽浄土へ行ける」「だから死んでも大丈夫」という意味になるのです。
※濡れ衣の語源について:
無実の罪の意味である「濡れ衣」三途の川にまつわるその語源を紹介!

次週の最終回ではいよいよ見せ場を演じてくれるであろう信繁。俗説では家康に死をも覚悟せしめた大暴れを、是非拝ませて欲しく思います。
■本当に書いていた南無阿弥「家康」

南無阿弥「家康」。これは書き間違いか遊び心か、それとも何かの暗号か?(イメージ)
南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・南無阿弥「家康」……南光坊天海から勧められて、晩年の家康が日課にしていて念仏の書写(日課念仏)。
小さな字でひたすら南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏と書いていくのは、何だか気が遠くなりそうな作業ですね。
そんな中に紛れ込んだ南無阿弥「家康」。何の冗談かと思ったら、実際にそう書かれたものが何点も残っていると言います。
何十回、何百回と書いている内に視覚がゲシュタルト崩壊を起こしてそう書き間違えてしまったのか、あるいは遊び心?を出してわざとそう書いたのかも知れません。
しかし現世の罪業を悔い改め、極楽往生を遂げるための日課念仏ですから、そういう場でそんなおふざけをするのもいささか不自然ではあります。
実際のところは明らかにされていないものの、恐らくはついうっかり書き間違えてしまい、書き直しが許されなかったのではないでしょうか。
「地獄を背負ってあの世へいく」と言いながら、阿弥陀如来に救いを求めるというのも矛盾している気がしますが、もしかしたら今まで殺してきた敵や死なせてしまった味方を供養する意味が込められていたのかも知れませんね。
■第48回放送最終回は「神の君へ」

家康を追い詰める真田信繁。貞信筆
今週は大坂夏の陣が繰り広げられるのかと思いきや、この期に及んでも女性がらみでのんびりと物語が進んでいましたね。ちょっと時間がもったいなかったですね。
さて、次週はいよいよ最終回「神の君へ」。大坂の陣で秀頼はじめ「乱世の亡霊」どもが大暴れ、何やかんやで徳川家康が75歳の生涯に幕を下ろします。
好戦的な秀頼というのは斬新でしたが、ここまで啖呵を切ったからには、華々しく討死するのでしょうか。
乱世の亡霊たちがみんなみんな大坂の夢と焼け落ちていくさまを、心して見届けたいと思います。
※参考文献:
- 阿部猛ら編『戦国人名事典 コンパクト』新人物往来社、1990年9月
- 小和田哲男『戦国三姉妹物語―茶々・初・江の数奇な生涯―』角川学芸出版、2010年11月
- 宮本義己『誰も知らなかった江』マイコミ新書、2010年12月
- 柏木輝久『大坂の陣 豊臣方人物事典』宮帯出版社、2016年12月
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