■神聖な食べ物である「小豆」
寒い季節のスイーツといえば、あんこあるいは小豆を使ったものが定番ですね。今回は、このような小豆やあんこの歴史をたどってみましょう。
※合わせて読みたい:
切腹が関係していた?小豆の品種「大納言」の意外なその命名の由来とは…
そもそも「あんこ」とは何かと言うと、まんじゅうや餅などの中に詰める「詰め物の具材」というのがもともとの意味です。つまり小豆を加工したものがあんこなのではなく、それを含んだ詰め物全般を指すのです。
そういえば、餃子の中身も「餡」といいますね。
半分に割った温泉まんじゅう
さて、あんこの原材料は小豆ですが、これは縄文時代あるいは弥生時代に、稲などと同様に日本に伝わってきたと言われています。もともと小豆の原産地はアジアの熱帯地方です。
小豆は古くから神聖な食べ物とされていました。これにはいくつかの理由が考えられます。例えば、太陽信仰にちなみ小豆の赤い色が邪気を祓う魔除けの色だと考えられたことが挙げられます。
あるいは、中国で小豆の皮の色を「陽」の色とする伝承が伝わり、災いとしての「陰」の気を封じるという考え方が採用されたのかも知れません。
いずれにせよ、こうした信仰を土台として、小豆を使った料理は神聖で特別なものと見なされるようになりました。例えばめでたい日に食べる赤飯や、邪気にやられやすい季節の変わり目に食べるぼたもち・おはぎなどがあります。
小豆煮
こうして、小豆は日本の食文化に深く根付いていきます。
■和菓子の歴史
さて次に、和菓子の歴史を簡単に振り返ります。
古代の日本では、菓子はフルーツを意味しており「果子」と表記されることもあったようです。いわゆる「お菓子」として知られるようになったのは七世紀頃と言われており、中国から「唐菓子」がもたらされたのがきっかけでした。
平安時代は、こうしたお菓子は宮中の宴会料理や、神事で神様に捧げる神饌(しんせん)として用いられていました。高級品であり、神聖なアイテムでもあったということです。
当時のお菓子の特徴は、米や麦の粉を練って揚げたものがメインだったことです。例えば索餅(さくべい)や餛飩(こんとん)などで、中には、今では麺類の範疇に入るものもありました。
■「あんこのスイーツ」は鎌倉時代から
さて小豆とあんこですが、伝来したばかりの頃はスイーツの材料として捉えられていたかどうか、少し怪しいようです。
そもそも甘味料がありません。砂糖は江戸時代中期頃までは高級な輸入品だったので、少なくとも初期の頃は、小豆は豆料理として食べるのが普通だったと思われます。
昔の小豆の食べ方としては、塩で味付けをする、煮汁を飲むなどが主でした。あるいは甘葛(あまづら)いう植物の煮汁や干柿などを使って甘い味をつけていたようです。
甘い小豆あんが歴史上いつ登場したのかははっきりしません。少なくとも鎌倉時代は、甘くない塩あんが主でした。
とはいえ、「小豆あん+餅」という、今では定番の組み合わせは鎌倉時代末期には登場しています。当時の記録でも「焼き餅は小豆を中に込め、しるこ餅は小豆を上につける」と書かれています。
かつて、スイーツの餅は焼いていたんですね。餅であんこを包むと言えば大福ですが、焼いた大福というのはちょっと想像がつかないかも知れません。しかし、太宰府市の名物である梅ヶ枝餅などの例もあります。
梅ヶ枝餅
【後編】では、甘い和菓子が日本で発展していった経緯や、現代の粒あん・こしあんの違いなどについて解説します。
【後編】の記事はこちらから
参考資料:
寒い季節のスイーツといえば、あんこあるいは小豆を使ったものが定番ですね。今回は、このような小豆やあんこの歴史をたどってみましょう。
※合わせて読みたい:
切腹が関係していた?小豆の品種「大納言」の意外なその命名の由来とは…
そもそも「あんこ」とは何かと言うと、まんじゅうや餅などの中に詰める「詰め物の具材」というのがもともとの意味です。つまり小豆を加工したものがあんこなのではなく、それを含んだ詰め物全般を指すのです。
そういえば、餃子の中身も「餡」といいますね。

半分に割った温泉まんじゅう
さて、あんこの原材料は小豆ですが、これは縄文時代あるいは弥生時代に、稲などと同様に日本に伝わってきたと言われています。もともと小豆の原産地はアジアの熱帯地方です。
小豆は古くから神聖な食べ物とされていました。これにはいくつかの理由が考えられます。例えば、太陽信仰にちなみ小豆の赤い色が邪気を祓う魔除けの色だと考えられたことが挙げられます。
あるいは、中国で小豆の皮の色を「陽」の色とする伝承が伝わり、災いとしての「陰」の気を封じるという考え方が採用されたのかも知れません。
いずれにせよ、こうした信仰を土台として、小豆を使った料理は神聖で特別なものと見なされるようになりました。例えばめでたい日に食べる赤飯や、邪気にやられやすい季節の変わり目に食べるぼたもち・おはぎなどがあります。

小豆煮
こうして、小豆は日本の食文化に深く根付いていきます。
■和菓子の歴史
さて次に、和菓子の歴史を簡単に振り返ります。
古代の日本では、菓子はフルーツを意味しており「果子」と表記されることもあったようです。いわゆる「お菓子」として知られるようになったのは七世紀頃と言われており、中国から「唐菓子」がもたらされたのがきっかけでした。
平安時代は、こうしたお菓子は宮中の宴会料理や、神事で神様に捧げる神饌(しんせん)として用いられていました。高級品であり、神聖なアイテムでもあったということです。
当時のお菓子の特徴は、米や麦の粉を練って揚げたものがメインだったことです。例えば索餅(さくべい)や餛飩(こんとん)などで、中には、今では麺類の範疇に入るものもありました。
■「あんこのスイーツ」は鎌倉時代から
さて小豆とあんこですが、伝来したばかりの頃はスイーツの材料として捉えられていたかどうか、少し怪しいようです。
そもそも甘味料がありません。砂糖は江戸時代中期頃までは高級な輸入品だったので、少なくとも初期の頃は、小豆は豆料理として食べるのが普通だったと思われます。
昔の小豆の食べ方としては、塩で味付けをする、煮汁を飲むなどが主でした。あるいは甘葛(あまづら)いう植物の煮汁や干柿などを使って甘い味をつけていたようです。
甘い小豆あんが歴史上いつ登場したのかははっきりしません。少なくとも鎌倉時代は、甘くない塩あんが主でした。
とはいえ、「小豆あん+餅」という、今では定番の組み合わせは鎌倉時代末期には登場しています。当時の記録でも「焼き餅は小豆を中に込め、しるこ餅は小豆を上につける」と書かれています。
かつて、スイーツの餅は焼いていたんですね。餅であんこを包むと言えば大福ですが、焼いた大福というのはちょっと想像がつかないかも知れません。しかし、太宰府市の名物である梅ヶ枝餅などの例もあります。

梅ヶ枝餅
【後編】では、甘い和菓子が日本で発展していった経緯や、現代の粒あん・こしあんの違いなどについて解説します。
【後編】の記事はこちらから
参考資料:
- 角田製菓 酒まんじゅう
- dressing
- ダ・ヴィンチWeb
- 日本あんこ協会
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan
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