今回は、この人体実験を日本で初めて行い、「通仙散(つうせんさん)」という経口麻酔を開発した江戸時代の日本人外科医・華岡青洲(はなおかせいしゅう)について紹介します。
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■薬の偉人
1758年に京都で医術修行を終えた華岡青洲は、現代漢方の起源といわれる「古方」を学ぶ一方、オランダ流外科を修めるなど、最先端の医療技術を身につけました。

華岡青洲肖像 部分(文化遺産オンラインより)
彼が掲げる信念は、ひとりでも多くの患者を救うこと。しかし、当時の医療では、大掛かりな手術は患者への負担が大きいことから非常に困難なものでした。
華岡青洲が、この問題を解決する糸口として注目したのが「麻酔」です。
■母と妻の選択
華岡青洲が開発した麻酔方法は、曼陀羅華(別名:チョウセンアサガオ)など数種類の薬草を配合した麻酔薬「通仙散(つうせんさん)」を内服するというものでした。
華岡青洲は「通仙散(つうせんさん)」の開発に幾度とない動物実験を繰り返し、母・於継と妻・加恵の協力による人体実験を行っています。
麻酔の実験は非常に危険で、最悪の場合死に至るケースも珍しくありません。それでも、母・於継と妻・加恵は、華岡青洲を信じて麻酔開発の協力を申し出たのでした。
その結果、麻酔の量が多すぎたことが原因で、妻・加恵は失明。このような不運な事故に見舞われながらも「通仙散(つうせんさん)」を開発した華岡青洲は、1804年に世界で初めて全身麻酔を用いた乳がんの手術に成功しています。

華岡青洲(竒疾外療図卷より)
■医学界の進歩
麻酔の概念が存在しなった当時、華岡青洲が開発した「通仙散(つうせんさん)」は、世界中の医学界に革命をもたらしました。
近代麻酔の起源とされるウィリアム・モートンが「エーテル麻酔下手術」の公開実験に成功したのが1846年のことですから、それより40年も早く麻酔の概念を誕生させていたことに驚きを隠せません。
ちなみに飲み薬である通仙散は麻酔がききはじめるまでに約2時間、手術を始められるまでに約4時間必要なため、緊急性を要する手術の場合には使用できないというデメリットもあったようです。
それでも、華岡青洲と妻・加恵、母・於継の協力によって開発された麻酔のおかげで救われた命の数は、計り知れません。
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