福島県の形のイメージ(フォトACより)
しかしこの形は本物の福島県の形ではなく、実は北西からにょろにょろと触手のように、面積が伸びているのです。
下の地図を見てください。白い部分が福島県なのです。

(地図は筆者が作成したもので、おおよその形)
なぜこんなことになっているのでしょう?
ずばり結論からいうと、山頂にある飯豊山神社への「参道」がその正体。この参道はほぼ登山道となっています。
日本は山岳地帯なので山の稜線が県境になっていることが多く、この登山道も福島県の北西から「飯豊山」付近までの県境に沿って細く伸びています。
山形県と新潟県に挟まれたこの県境は幅90センチ、最も細いところで幅約50cmといわれ、約7km続いています。尾根をつたう細い登山道だけが福島県となっており、道の右側は山形県、左側は新潟県です。
この登山道と山頂付近の住所は、福島県喜多方市。

飯豊連峰の登山道(フォトACより)
いや、筆者も飯豊山はてっきり山形県だと思ってました。
ではなぜこんなことになったのでしょう?
■霊峰「飯豊山」に登るのは成人の儀式
東北の百名山「飯豊山(いいでさん)」。山岳信仰の場所でもあり、山頂には飯豊山神社が鎮座しています。
開山は古く、652年(白雉3年)、知同和尚と役小角が開山したとされています。
元禄時代まで修験の場として大変栄えました。
といっても太平洋戦争まで、飯豊山への登頂は「少年の成人儀式」としてとらえられており、15歳までに登頂を果たすものとされてきたのです。

飯豊山神社の奥宮(フォトACより)
この飯豊山神社こそ、福島県がこの形になった理由。
飯豊山をご神体として「五社権現」を祀った山頂の奥宮と、喜多方市内に里宮が存在しています。昔から福島県民にとって飯豊山と飯豊神社は神聖な場所だったのですね。
ところが明治期の廃藩置県で、飯豊山付近が新潟県に編入されることになりました。しかし麓宮のある耶麻郡一ノ木村(現・喜多方市)が飯豊山神社は麓宮と奥宮で「一宮」であると猛烈に反発。参道(登山道)と山頂は福島県にすることで決着したのです。
参道が飯豊山神社で終わらず、さらに西へ伸びて「御西岳山頂」まで続いているのは、古来、飯豊山神社の境内の範囲が御西岳頂上付近までとされていたためです。
「詣でる」といっても、参道の突端、三国岳までも普段山歩きをしない人にはかなり険しい道のり。さらに県境は険しい岩場となっています。
それゆえに、その険しさを越えて参詣した人々の思いが、深くこの山に込められているのでしょう。
筆者は登山を通じて、いろいろと日本の歴史を知ることが増えました。みなさんも日本人の魂を触れることができる山に、是非足を運んでみてください。
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