平安時代に活躍した女流歌人の一人・清少納言(せい しょうなごん)。

実名を清原諾子(きよはらの なぎこ)とも伝わる彼女が著した随筆『枕草子(まくらのそうし)』は、平安文学における最高傑作の一つと言えるでしょう。


この『枕草子』という題名がなぜつけられたのか、その由来には諸説あるようです。

どの説も決定打に欠け、いまだに定説を見ない『枕草子』題名論争。今回は諸説の中からお気に入りの一説を紹介。あなたも気に入ってくれると嬉しいです。

■まだ書き足りない、その思いは

清少納言の随筆『枕草子』題名に込められた意味とは?とある和歌...の画像はこちら >>


暗くなって、もう文字も書けないが……(イメージ)

『枕草子』に、こんな一節があります。

物暗(ものぐろ)うなりて、文字も書かれずなりにたり。筆も使ひ果てて、これを書き果てばや。
この草子は、目に見て心に思ふ事を、人やは見むずると思ひて、つれづれなる里居(さとゐ)のほど、書き集めたるに、あいなく人のため便(びん)なき言い過ぐしなどしつべき所々あれば、清う隠したりと思ふを、涙せきあへずこそなりにけれ……。

※清少納言『枕草子』能因本 第323段より

【意訳】気づけば暗くなってしまって、文字も書けないほどである。
しかし私はまだ書き足りない。筆を使いつぶしてでも書きつけたい思いがあるのだ。
このメモ書きには、目に見えたすべてのもの、心に浮かんだすべてのことを書きつけている。

よもや誰にも見られまいと思い、しょうもない日常のよしなしごとを書き集めた。
誰かが見れば言葉が過ぎて傷つけてしまうかも知れないから、ここに書いたことはここだけの話にして、表面上は清くソツなく取り繕いたい。
それでも「涙せきあへず(涙をせき止め切れない)」と歌に詠まれるように、やるせない思いがあふれてしまうのだ。

……竹を割ったような性格で、いつも明るく振舞っている清少納言。

ちょっと一言多くて毒舌だけど、裏表が(あまり)ないから憎めない。

そんな彼女がいつも抱え続けている胸中を、ふと垣間見るような一節です。



■枕だけが知っている涙の意味

清少納言の随筆『枕草子』題名に込められた意味とは?とある和歌に隠された彼女の真意【光る君へ】


在りし日の定子。『枕草子絵詞』より(画像:Wikipedia)

ちなみに「涙せきあへず」という言葉は、こちらの和歌に由来します。

枕より 又しる人も なきこひ(恋)を
涙せきあへず もらしつるかな

※『古今和歌集』巻13恋歌3・平貞文

【意訳】この恋を知っているのは、私の枕だけだ。誰にも知られてはならないこの恋心をおさえ切れず、今日も私は枕を涙に濡らしてしまうのだ。

「なきこひ」が(知る人も)無き恋と、泣き恋にかかっていますね。

誰にも言えない恋だから、昼間は必死に堪えているけど、夜は独りで枕を濡らす情景が目に浮かぶようです。


涙とあふれる胸中の真意を知っているのは枕だけ。清少納言はそんな思いを込めて、随筆集に『枕草子』と名づけたのかも知れませんね。

誰にも言えないこの思い。その対象は言うまでもなく、彼女が愛してやまなかった中宮・藤原定子(ていし/さだこ)をおいてないでしょう。

一条天皇の寵愛を受けながら、父・藤原道隆の没後にあれよあれよと実家一族は転落していきました。

自業自得な面もあるとは言え、藤原道長の謀略によって陥れられたことは誰の目にも明らかです。

最後は出家して人望を失い、孤独な最期を迎えた定子。その崩御を誰よりも悲しんだのは、清少納言だったはずです。

輝かしい人生の思い出を噛みしめ振り返りしながら書き集めた、他愛もないよしなしごとは、清少納言にとってかけがえのないものでした。

いつも明るく楽しく笑いに満ち足りた日々。その陰にこらえ切れず流された涙の意味を知っているのは、ただ我が枕のみ。

そんな思いが『枕草子』という題名に込められているのではないでしょうか。


■終わりに



清少納言の随筆『枕草子』題名に込められた意味とは?とある和歌に隠された彼女の真意【光る君へ】


清少納言。上村松園筆

以上『枕草子』の題名に込められた意味について、とある一説を紹介しました。

かの紫式部も書くことで家族を喪った悲しみを乗り越えたと言いますが、陽気と毒舌が服を着て歩いているような清少納言にも、人には言えない思いがあったのではないでしょうか。

果たしてNHK大河ドラマ「光る君へ」では、清少納言がどのように『枕草子』を書きつづっていくのかが見どころのひとつになると思われます。

今後の展開に注目したいですね!

※参考文献:

  • 梅原猛『古代幻視』文春文庫、1997年6月

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