夏の代名詞、「怪談」。
中でも相手を呪い殺すために、丑三つ時に五寸釘を打つ鬼と化した女性…という「丑の刻参り」は恐ろしいイメージの定番ですね。
俗に「丑の刻参り(うしのこくまいり)」といって、丑の刻(午前1時から午前3時ごろ)に神社の御神木に憎い相手に見立てた藁人形を釘で打ちつけるという呪いの一種です。
この確立した呪いのスタイルは一体どこからきたのでしょうか。
世阿弥の能の「鉄輪(鐵輪)」(かなわ)と呼ばれる演目が原型とされています。
古来から恐れられる呪術「丑の刻参り」そもそもは良縁・心願成就が始まりだった【前編】

丑時参(うしのときまいり)鳥山石燕『今昔画図続百鬼』(写真:wikipedia)
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安倍晴明も登場、そのあらすじは?
ある夜、(京都の)貴船神社の社人の夢中でお告げがありました。それは丑の刻にお参りをしにくる女性に信託を伝えるというもの。というもの。
そのお告げ通り都風の女がやってきたので社人が理由を聞くと、「自分を捨てて不倫をした旦那に罰を受けさせるために、遠いところから幾晩も参っていた」と告げました。社人はお告げ通り、女に「三つの脚に火をともした五徳(鉄輪)を頭にのせて、赤い顔料を顔に塗り、怒りの心をもつならば、望み通りに鬼となるだろう」と告げた。すると、女は話を聞くうち容姿が変わっていき、髪が逆だち雷鳴が轟くと、「恨みを晴らしてやる」と述べて去って行きました。
さて女の夫は毎晩の悪夢に悩まされ、陰陽師の安倍晴明に助けを乞うた。安倍晴明は、男と新婦の命は今夜で終わると見立て、男の家に祈祷棚を設けて身代わりを載せて祈祷を始めました。そこに火をともした五徳(鉄輪)を戴いた鬼女が現れ、身代わりの式神に襲い掛かるも、退治することはできず、鬼は「時機を待つ」と言って消えていった。
ちなみに五寸釘と藁人形は「鉄輪」にも「剣巻」にも登場しません。頭に鉄輪をはめて蝋燭に火をつけるのは、その形から鬼に見立てているということでしょう。
■京都の命婦稲荷社にある「鉄輪の井戸」

鉄輪の井戸(フォトACより)
実際に五寸釘を打ち付けた杉のある清水寺の「地主神社」とはまた違う逸話のある神社があります。
それは京都の町のど真ん中に鎮座する「命婦稲荷社(みょうぶいなり)」。
寛文8(1668)に伏見稲荷より勧請、命婦稲荷社の主祭神は「命婦稲荷大明神」で、鍛冶屋町の守護神であり、家庭円満、商売繁昌を加護してくれるご利益があります。
ここには平安時代から「鉄輪塚」と呼ばれる塚と「鉄輪の井戸」があったとされています。
或る女性が自分を捨てた亭主を呪い殺そうと貴船神社へ丑の刻詣りをしていたものの、志半ばでこの辺りで亡くなってしまったため、その女性の亡骸を葬った塚と言われています。また、丑の刻参りの途中で命が尽きそうになり自ら井戸に身投げをしたとも、安倍晴明に呪詛を邪魔されて自ら井戸に身投げしたともいわれています。
それからというもの、この井戸の水を汲んで相手に飲ませると、悪縁が切れるとの俗信が生まれました。
町民にとってこの井戸は大切にされてきたもの。原型がなくなっても復元されて今に至ります。
ちなみになぜ、丑の刻参りで貴船神社を目指すのでしょうか。
それはこの地に「丑の年・丑の月・丑の日・丑の刻」に貴船大神が天下万民救済のために降臨したという伝説があるから。そのため、心願成就のために皆が「丑の刻参り」をするようになったのです。
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