江戸一の花魁として知られた小紫と130人の命を奪った辻斬り男「平井権八」。今回は、実際に存在した2人の悲恋物語を紹介します。






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江戸一の花魁





花魁である小紫は、和歌が上手な優しい、優雅な女性だったと言われています。





和歌が得意だったことから、歌人の紫式部から名前をとって「小紫」と名乗るようになったのだとか。





多くの男性を魅了した小紫は、いつしか江戸一と呼ばれるほどの花魁となっていました。





130人の命を奪った残忍な辻斬り男を愛してしまった、江戸時代の花魁「小紫」の悲恋物語




花魁の恋





そんな彼女にも、「平井権八」という意中の男性がいました。2人は来世を誓い、深く愛し合っていたと言います。





しかし、一般藩士であった権八にとって、何度も遊郭に通う資金はありませんでした。





次第に資金が底をつき、お金に困った権八は強盗や辻斬りに手を染め、130人を殺し金品を奪ったそうです。





繰り返し罪を犯していた権八はついに捕まり、処刑されてしまいます。その報せを聞いた、小紫は嘆き悲しんだのでした。





心中





その後、とある権力者から条件のいい身請け話が持ち上がります。





花魁にとって、身請けされると言うことは喜ばしいことですが、権八と一緒になれないことや権八の死から立ち直れていない小紫にとって、その身請け話はただの苦痛でしかありませんでした。





そして、江戸一の花魁・小紫は、身請け当日に東昌寺の権八の墓前で自殺したと言われています。












比翼塚





小紫の自殺後、東昌寺に小紫と平井権八の「比翼塚」が作られました。





現在は、東昌寺が廃寺となったため移転し、目黒不動瀧泉寺(東京都目黒区下目黒)の門前に現存されています。





比翼塚とは、一緒になることができずに亡くなった2人を一緒に祭ったもので、現在も古事記の時代から江戸時代のものまで各地に点在しています。





それぞれの墓が、まるで寄り添っているように建てられるケースもあるようです。





130人の命を奪った残忍な辻斬り男を愛してしまった、江戸時代の花魁「小紫」の悲恋物語




現代でも語り継がれる2人の恋の物語





「平井権八」と「小紫」の恋を描いた歌舞伎・狂言や浄瑠璃は「権八小紫物」と呼ばれ、人気を博しました。





平井権八は、歌舞伎・狂言や浄瑠璃では白井権八として知られており、2人の悲しい恋の物語は現代においてもなお語り継がれているのです。





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