織田信長と豊臣秀吉―日本史上屈指の英雄たちに仕えた黒田官兵衛(くろだかんべえ)。諱を「孝高」とし、戦国の世において、その知謀と忠誠心で名を馳せた武将です。


2014年の大河ドラマ『軍師官兵衛』では、岡田准一さんによる熱演を記憶している方も多いでしょう。

信長の下で働いた官兵衛は、主君から大いに気に入られ、その後も秀吉の元で見事な働きぶりを示し、功績を上げていました。その活躍ぶりは、同じく秀吉の元で活躍した竹中半兵衛と共に、「両兵衛」と称されていたほどです。

口は禍の元!あの知謀家・黒田官兵衛が豊臣秀吉にやらかしてしま...の画像はこちら >>


如水居士画像(崇福寺蔵)

信長の重臣である荒木村重が謀反を起こし、捕らえられ際、片足が不自由になるほどの過酷な状況に直面しましたが、それでも寝返ることなく、救出後には秀吉の元へ戻りました。

このような献身的な姿勢に感銘を受けた秀吉は、官兵衛に絶大な信頼を寄せていました。

しかし、運命は時に、たった一言の失言で大きく変わってしまうことがあります。官兵衛は自ら発した一言で、これまで築いてきた秀吉からの信頼を大きく崩してしまったのです。

その言葉は、本能寺の変で信長の死が告知されたときに発せられました。

官兵衛は、主君の死を悲しみ号泣する秀吉に、「これでご運が開けますぞ」と声をかけました。ところが、この言葉は場違いでした。

「もし官兵衛が勢力を上げればきっと天下を狙うことだろう…」と秀吉は官兵衛の知謀を恐れるようになったのです。

主君を励ますつもりで発した言葉が、図らずも、却って主君を警戒させ、自身の信頼をも、一気に失墜させる結果とってしまいました。
彼はその後、いくら功績を立てても評価されず、秀吉から与えられたのはたった3万石だったと言われています。

そんな官兵衛ですが、その死に臨んで、

「おもひおく 言の葉なくて つひにいく みちはまよわじ なるにまかせて」

(この世に残しておくような言葉はもうない。今はあの世への道も迷うことなく、心静かに旅立つだけである)

という「辞世の句」を残しています。

あまりのその潔さに、読んでいるこちらでさえ、惚れ惚れしてしまいますね。

今回の官兵衛のエピソードは改めて、後世の我々にも「口は禍の元」という教訓を残してくれますが、同時に、彼の潔い生き方に、多くの共感を得ます。

参考

  • 山本博文『黒田官兵衛』(新潮社、2014年)
  • 山本博文『戦国の名将 黒田官兵衛』(PHP研究所、2015年)
  • 「軍師官兵衛」公式ウェブサイト
  • ‶黒田官兵衛とはどんな人?年表で簡単に解説!性格は?功績は?死因は?” Histonary

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