みなさんは「だだちゃ豆」を知っていますか?

名前だけは聞いたことがあるという方、まったく知らないという方、好きでよく食べるという方など、さまざまだと思います。

そこで、今回の記事では、そんな「だだちゃ豆」について詳しくご紹介します。
「だだちゃ豆」には、意外な名前の由来や、歴史があるんです。

■だだちゃ豆とは?

かつては”幻の豆”と呼ばれていた山形名物「だだちゃ豆」はなぜ...の画像はこちら >>


だだちゃ豆

だだちゃ豆とは、山形県鶴岡市の鶴岡地域の在来野菜です。茶豆(枝豆の品種のひとつで、薄皮やさやの毛が茶色いのが特徴です)の一種。ほかの品種と比べて、甘味やうま味の成分であるアラニンや遊離アミノ酸が多く含まれているのが特徴です。

さやの毛が茶色いことや、くびれも深いことから、あまり見栄えがよくないという意見もあるようですが、味は一級品。小粒の状態で出荷されるため、茹で時間も短くて済むことが特徴。

栽培される土地の土壌や気候が合わないと質が落ちてしまうこと、収穫期が短いこと、保存も難しいことから、栽培地域が限られ「幻の豆」と呼ばれてきました。

近年では、保存技術や輸送技術の向上により、山形以外でも多く食されるようになりました。

■なぜ「だだちゃ豆」という名前なの?

「だだちゃ豆」の「だだちゃ」という部分はユニークで記憶に残りやすいですよね。「だだちゃ」とは、山形県庄内地方の方言で「おやじ」「お父さん」という意味。

庄内藩の枝豆が好きだった殿さまが「今日はどこのだだちゃの枝豆か?」と聞いたという説や、食べた豆があまりにもおいしく、「あのだだちゃが作った豆が食べたい」と言ったという説などがあります。

ちなみに、この殿さまが誰だったのかについては、明確には分かっていません。
ただし、時代などを考慮すると、幕末期の第11代庄内藩主・酒井忠篤公(さかいただずみ)ではないかという説があります。

また、上記の説と比べるとややマイナーではありますが、福島県伊達郡から豆を持ち込んで作った「伊達の茶豆」が転じて「だだちゃ豆」になったという説、表面が茶色の毛で覆われているからという説、家長である「お父さん」から先ず最初に食べる風習に由来するという説まで、さまざまなものがあります。

■「だだちゃ豆」の歴史

「だだちゃ豆」は江戸時代から農家が大切に守り伝えてきたという説があります。ただし、より現在の形に近いものになったのは、明治時代後期だと言われています。

当時の大泉村白山にいた森屋藤十郎の分家、森屋初(はつ)という女性が隣の村からもらった枝豆の種を育てたところ、おいしい枝豆ができ、数を増やして現在のだだちゃ豆のルーツとなった「藤十郎だだちゃ」を育てたといわれています。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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