彰子の女房 宰相の君(さいしょうのきみ)『源氏物語』で文才を見出され、内裏へ出仕することになった紫式部(役名まひろ)。そこには多くの女房たちが仕えており、様々な人間模様を描きました。
瀬戸 さおり(せと・さおり)
藤原豊子(ふじわらのとよこ)。藤原道綱の娘。藤原彰子に女房として仕える。
※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより。
そんな女房の一人として知られる宰相の君(藤原豊子)。みんなから尊敬されつつも紫式部がイタズラしてしまうほど親しみやすい愛されキャラだったようです。
【光る君へ】親友・紫式部のイタズラにぷんぷん!藤原彰子に仕えた『宰相の君 (藤原豊子)』とはどんな女性?
ちなみに宰相の君という名の女房は藤原豊子のほかにもう一人おり、同年代に彰子へ仕えています。
今回はこちら、もう一人の宰相の君(北野三位、藤原遠度女)について紹介。こちらは大河ドラマに登場するのでしょうか。
■宰相の君の生い立ち

二人の宰相の君(イメージ)
宰相の君は生年不詳、父親は藤原遠度(とおのり)、母親は従三位季兼女(すえかね。姓不詳)でした。実名についてはよく分かっていません。
父親の藤原遠度は藤原兼家の兄弟なので、宰相の君は藤原道長の従姉妹に当たります。
兄弟姉妹には藤原高頼(たかより)・尋空(じんくう。僧侶)・朝源(ちょうげん。僧侶)・女子(藤原広業室)がいました。
藤原彰子に出仕した時期ははっきりしないものの、恐らくは彰子が入内した長保元年(999年)ごろと考えられます。
ちなみに藤原豊子の方の宰相の君は道長の異母兄である藤原道綱の娘ですから、宰相の君同士で従姪(いとこめい)・従母(いとこおば)となります。
出仕してどちらも宰相の君と呼ばれたようですが、『紫式部日記』を読むと「北野三位(きたののさんみ)」とことわりを入れているので、そう呼ばれることもあったのでしょう。
ちなみに宰相とは公卿(三位以上または参議以上)を指し、父親の遠度が従三位となっていたことから宰相の君と呼ばれました。
■『紫式部日記』に伝わる宰相の君

宰相の君について記す紫式部(イメージ)
そんな宰相の君はどのような女性だったのでしょうか。
紫式部の書いた『紫式部日記』に、彼女に関する記録が残されています。
……宰相の君は、北野の三位のよ、ふくらかに、いとやうだいこまめかしう、かどかどしき容貌したる人の、うちゐたるよりも、見もてゆくにこよなくうちまさり、らうらうじくて、口つきに恥づかしげさも、匂ひやかなることも添ひたり。もてなしなどいと美々しくはなやかにぞ見えたまへる。【意訳】宰相の君…北野三位と呼ばれる方(ほう)の彼女について紹介します。心ざまもいとめやすく、心うつくしきものから、またいと恥づかしきところ添ひたり。……
彼女はふくよかで容姿が細やかに整い、顔から賢さがにじみ出ているようです。
始めてお会いした時に比べ、つき合いを重ねてゆくほど魅力を感じるようになりました。
その口元は洗練された気品や艶やかさが感じられます。
彼女の立ち居振る舞いは実に瀟洒で華があり、性格もたいそう美しくいらっしゃいました。
まったく彼女を前にすると、こちらが気後れしてしまいそうです。
……『紫式部日記』の女房評は辛口が多めな印象ですが、そんな中で北野三位に対する評価は非常に甘口。
それだけ魅力的な女性だったと言えるでしょう。
■終わりに
今回は北野三位の方の宰相の君について紹介しました。
藤原豊子の宰相の君と紛らわしいのでNHK大河ドラマ「光る君へ」には登場しないと思いますが、内裏のどこかで活動しているのでしょう。
もし登場するならキャスティングが誰になるのか、予想してみるのも楽しいですね!
※参考文献:
- 山本淳子 訳『現代語訳付き 紫式部日記』角川ソフィア文庫、2010年8月
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan