日本では、ウマ・ウシはいつ頃から飼われるようになったのでしょうか。
旧石器時代に属するフランスのラスコー洞窟の壁画に見られるように、ウマは世界的には古くから捕食されたり、毛皮が利用されたりしてきました。
ラスコー洞窟の壁画(Wikipediaより)
また、世界では、紀元前四〇〇〇~三〇〇〇年頃、ヒツジやヤギ、ウシに続きウマが家畜化されたこともわかっています。
それに対して日本では、三世紀前半から中期の日本について記された『魏志倭人伝』によると、倭国にはウマやウシ、ヒツジなどがいないと書かれています。この記述を信じれば、当時の日本に、まだウマはいなかったことになります。
考古学的には、日本でウマが飼われていたことを示す最古の証拠は、奈良県桜井市にある箸墓古墳の周壕から出土した木製輪鎧です。
輪鎧は、ウマに乗るとき足をかけるために使うもの。四世紀初めの土器と一緒に出土しているので、その頃に投棄されたと考えられています。
もっとも、当時の古墳から他に馬具の出土はないので、箸墓古墳の木製輪鎧は稀少な存在で、権威を示すために用いられたものと推定されています。
■遺跡に残るウマ・ウシの痕跡
遺跡から馬具が多数出土するようになるのは、四世紀末のものからです。
また、五世紀前半の応神天皇の陪塚などからも副葬品とし馬具が出土しています。さらに五世紀中頃になるとウマの骨格が出土し、古墳の副葬品としても鞍鐙などの馬具、馬形埴輪の出土も増えます。

応神天皇の倍塚・向墓山古墳(Wikipediaより)
以上のようなことから、日本で乗馬の習慣が始まったのは、四世紀末のことと考えられているのです。
次にウシですが、前述の『魏志倭人伝』に倭国にはウシやウマ、ヒツジ、トラ、ヒョウはいないと書かれていることから、この記述を信じると三世紀の日本には、ウマ同様にウシもいなかったことになります。
しかしその一方で、三世紀半ば以前の弥生時代、すでにウシが飼われていたという説もあります。当時のいくつかの遺跡から、ウシの骨や歯が出土しているからです。
しかし、これについては後世のものが混入したという意見もあり、日本でいつからウシが飼われるようになったかは定かではありません。
■弥生時代のウシ飼育
ただ、少なくとも弥生時代に続く古墳時代には、ウシが身近な存在になっていたことは確実です。
たとえば、火山灰に埋もれた遺跡として有名な群馬県の黒井峯遺跡では、六世紀の古墳時代後期の家畜小屋が見つかっています。

黒井峯遺跡(Wikipediaより)
黒井峯遺跡は、六世紀の榛名山の噴火で分厚い軽石層に覆われ、集落の全貌が奇跡的に保存されたものです。
ここでの家畜小屋は長方形の切妻屋根で、内部が三~五部屋に間仕切りされ、周囲に溝かくぼ地が設けられていました。
そのくぼ地と周囲の土壌を脂肪酸分析にかけたところ、ウシが飼われていたことが判明したのです。
また、この遺跡は平地式と高床式の建物群が柴垣で囲まれ、その外側に竪穴式住居がありました。集落全体では四~五棟の家畜小屋があったようです。
現代では日本でウマ・ウシを飼育している人はごく限られていますが、実は意外と最近まで、どちらも食用・移動用・物資の運搬や農作業などの目的で飼育している家が多くありました。
そうした習慣ははるか古代から始まっていたのです。
参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:Wikipedia
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