縄文時代の遺跡から出てくる発掘物と言えば、「縄文土器」ともうひとつ「矢じり」をすぐに思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
実際、縄文時代の遺跡からは、動物を仕留めるために使われたと思われる矢じりがたくさん発見されています。
一応説明しておくと、矢じりは石や骨などでつくる尖った石器のことです。縄文人はこれを木の棒の先につけて、槍あるいは矢などの武器として使用していたわけです。
黒曜石の矢じり
では、このような矢じりを、縄文人はどうやって木の棒の先にくっつけて固定したのでしょうか。
矢じりとは、武器におけるいわば刃物の部分で、木の棒は柄にあたります。両者をきちんとくっつけて固定しないと、うまく使えません。
そう問われれば、多くの人は「木のツルや麻のヒモなどでくくりつけたんでしょう?」と答えることでしょう。
実際、はるか昔の遺跡からは、木のツルなどで大きな石を木の棒にくくりつけたものがたくさん発見されています。しかし、それが可能なのは石がある程度のサイズで、棒とともにツルやヒモが引っかかりやすい形状だった場合に限られます。
一方、遺跡から発掘される矢じりには、大人の親指の爪ぐらいの石や、針のように細い骨などもあります。こうしたものを、ツルやヒモでくくりつけることはまず不可能と言っていいでしょう。
となると、現代人の私たちの感覚では、テープ類や接着剤が欲しくなるところですね。
で、ここからがトリビアです。
■アスファルトの存在
その接着剤とは、アスファルトです。
実は縄文時代当時の人々は、アスファルトを接着剤代わりに使っていたのです。
アスファルトといえば、原油に含まれる炭化水素の一つで、現在では、道路舗装や防水剤などに利用されている物質です。

精製されたアスファルト(Wikipediaより)
当時の日本では、北海道から新潟県にかけての日本海側で天然のアスファルトが産出されていました。そして、それが接着剤代わりに使われていたことが分かっているのです。
また、産地ではない関東地方からもアスファルトの付着した矢じりなどが発見されているので、地域間での交易が行われていた可能性も指摘されています。
天然アスファルトは、破損した土器や土偶の修復にも利用されていました。古代の人々は、天然の接着剤を存分に使いこなしていたのです。
特に、縄文時代の後期から晩期にかけて、こうした使用例が顕著に確認されています。
■神話の時代の使用例
漫画『Dr.STONE』を読んだことがある方ならご存じだと思いますが、アスファルトの歴史は思いのほか古いのです。
世界史的にも、天然のアスファルトははるか古代から使用されていたことが分かっています。
旧約聖書の『創世記』にも、バベルの塔の建設のためのレンガの接着剤として、またノアの箱舟の防腐剤として天然アスファルトが使用されたとの記述があります。アスファルトは神話にまで登場するのです。

ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』(1563年頃)、ウィーン・美術史美術館蔵(Wikipediaより)
ただ、アスファルトという単語が英語に現れたのは、原油の利用が一般的になり始めた18世紀に至ってからです。
日本でも、『日本書紀』に、668年に「燃える水」と「燃える土」が越の国から天智天皇に献上されたとの記録があり、燃える水が石油で、燃える土が天然アスファルトであると考えられています。
アスファルトの使い道としては、多くの人が道路の舗装を思い浮かべると思いますが、日本でそのように道路の舗装でアスファルトが使われたのは明治11年(1878年)、東京の神田川にかかる昌平橋の舗装が最初だったと言われています。
ただそれはあくまでも公式の記録で、それ以前からアスファルトが道路工事で使われていた可能性もあります。
縄文人が使いこなしていたことを考えれば、それも納得がいく話ですね。
参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC,Wikipedia
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