令和の現代だって犯罪者には厳しい目が向けられるものの、当時はその比ではなかったことでしょう。
現代では裁判を受けられたり黙秘権が認められたり、また拷問が禁じられていたりします。
しかし当時にそんな気の利いた概念はなく、ひとたび捕らわれたら最後、どんな目に遭うか分かったものではありません。何なら生きて釈放される保証すらないでしょう。
そんな中、今回は冤罪で逮捕されてしまった犬男丸(いぬをまる)のエピソードを紹介。果たして彼が、どんな容疑をかけられたのか気になります。
■助光殺害事件
牛車を曳く車副たち(イメージ)
時は万寿4年(1027年)2月、藤原実資の車副(くるまぞい)である助光(すけみつ。姓は不詳)が殺害されました。
車副とは牛車の左右について牛をリードする役目。言うまでもなく低い身分です。
そんな助光が帰宅するため平安京を出て嵯峨へ向かうため、直線距離で7~8キロはあろう道のりを歩いていたのでした。
当時の車副(またはそのクラスの人物)は住み込みでたまに帰宅するスタイルだったのか、あるいは毎朝通勤するスタイルだったのかはともかく、徒歩で毎日7~8キロ往復はなかなかダルいですね。
時速5キロとして、片道1.5時間/往復3時間。
そんな助光が何を思いながら家路をたどっていたかは分かりませんが、ともあれ助光は殺害されてしまったのでした。
■共犯は犬男丸
当局による捜査の結果、同年4月になって犯人が逮捕されます。
犯人の名は春童丸(しゅんどうまる)。藤原良資(よしすけ)に仕えている牛飼童(うしかいわらべ)でした。
幼名なので元服前、かと言ってあまり幼すぎても牛飼童は務まらないため、十代前半~半ばの青年だったのでしょう。
この春童丸と助光の間に何があったのか、なぜ殺害にまで及んでしまったのか分かりません。
ともあれ逮捕された春童丸は拷問にかけられます。
「共犯者がいるんだろう?吐け!」
「……犬男丸……」
厳しい拷問に耐えかねて白状した春童丸。
犬男丸と言えば、源経親(つねちか。源重信の孫)に仕える牛飼童でした。さっそく犬男丸が逮捕・連行されてきます。
■共犯はどこの犬男丸?

拷問を受ける犬男丸(イメージ)
犬男丸「濡れ衣だ、俺はやってない!」
獄卒「黙れ、お前が共犯という証言があるんだ!」
犬「誰だ、そんなデタラメを言ったのは!」
獄「春童丸だ、知っているだろう!」
犬「知らぬ、会ったこともない!」
獄「白ばっくれるな!」
犬「本当だ。そいつに会わせてくれ、殺人の共犯は、俺じゃない犬男丸に違いない!」
……というやりとりがあったのかどうか、果たして犬男丸と面会した春童丸は「人違いだ」とのこと。
春「……こいつじゃない」
獄「どういう事だ?」
牛飼童は犬男丸という名前が多く、調べてみると他にも複数名の犬男丸が判明しました。
そもそも犬男丸という名前は「戌年生まれの男の子」あるいは「オス犬の落し物(※)」という意味です。
(※)幼な子が悪霊に連れ去られないよう、幼名には人でない名前を選びました。~丸とは、そういう意味です。
獄「ならば、どの犬男丸が共犯なんだ?」
春「えーと……」
調査の結果、源頼職(よりもと)に仕える牛飼童である犬男丸が共犯と判明。源経親に仕える犬男丸は冤罪が立証されたのでした。
■エピローグ

「お、犬男丸じゃねぇか。最近見ないと思ったが……何だ、人違いで捕まってたのか。間抜けな奴め。まぁ命があってよかったな、ハハハ……」世の中そんなモンである(イメージ)
「おい、もう帰っていいぞ」
釈放された犬男丸は、さぞかしボロボロだったことでしょう。
無実なのに拘束したり、拷問にかけたりして悪かったなんて言われるはずもありません。
まったく、とばっちりもいいところですが、強いて彼の非?をでっち上げるとすれば
「たまたま同じ名前の人物が罪を犯した連帯責任」
と言ったところでしょうか。
その後、春童丸と共犯の犬男丸(源頼職牛飼童)にどういう刑罰が科せられたのか、無実の犬男丸(源経親牛飼童)がどうなったのかについては、『小右記』に記述がありません。
殺された助光の一件について、そこまで深く追及する興味もなかったのでしょう。
せめて無実だった犬男丸が、幸せに暮らして欲しいと願うばかりです。
※参考文献:
- 倉本一宏『平安京の下級官人』講談社現代新書、2022年1月
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