「ねぇ、いつになったら奥さんと離婚してくれるの?」

「もう少しだよ、僕を信じて……」

幸いにもそんな場面に遭遇したことはありませんが、不倫相手の伴侶は、思いを遂げる上で最大の障壁と言えるでしょう。

しかしその伴侶さえいなくなれば、もう怖いものなど(あんまり)ありません。


フリーとなった相手に向かってまっしぐら……そんな手合いは今も昔も変わらぬものです。

という訳で今回は、兄の死をキッカケに未亡人となった兄嫁へ猛烈にアプローチした藤原惟貞(これさだ)のエピソードを紹介したいと思います。

■兄嫁の伝手で一族は繁栄

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妍子の乳母となった藤原高子(イメージ)

藤原惟貞は生年不詳、藤原文信(のりあきら)の次男として生まれました。

異母兄に嫡男の藤原惟風(これかぜ)、弟に藤原惟忠(これただ)、そして妹(源奉職室)がいます(それぞれ母親は不詳)。

※藤原惟房(これふさ。惟風の子?)も弟とする説もあるそうです。

兄の藤原惟風は若いころから武官を歴任、藤原道長の家司として仕えました。

惟風の妻である藤原高子(こうし/たかこ)は道長次女・藤原妍子(けんし/きよこ)の乳母を務めます。

やがて妍子が居貞親王(いやさだ。のち三条天皇)に入内し、やがて居貞親王が皇位を継承すると、高子の伝手で惟風一族は大いに出世しました。

惟風らの栄華は主君の道長すら驚き怪しむほどで、惟貞も兄の恩恵に与っています。

しかし兄が長和3年(1014年)ごろに急死。
死因ははっきりしないものの、三条天皇にとりこまれてしまった家司を道長が粛清したのかも知れません。

【光る君へ】藤原道長の家司を務めた藤原惟風とはどんな人物?その生涯をたどる
もう我慢できない!未亡人となった兄嫁に猛烈アタックしてしまった平安貴族・藤原惟貞のエピソード【光る君へ 外伝】


■三度にわたるアプローチ

もう我慢できない!未亡人となった兄嫁に猛烈アタックしてしまった平安貴族・藤原惟貞のエピソード【光る君へ 外伝】


惟貞による犯行現場(イメージ)

さて。兄を喪ってほどない長和4年(1015年)4月、内裏を退出した高子が帰宅のため牛車で鷹司小路と高倉小路のあたりにさしかかりました。

すると惟貞はこれを襲撃、たちまち牛車へ乗り込んで高子に暴行を加えます。

こんな事をすればただで済むはずもありません。惟貞はたちまち捕らわれ、道長の前に引き出されたのでした。

「そなたは極めて不都合な者である。先刻も彼女の家に押し入ったばかりか、こたび暴行に及ぶとは、はなはだ不当である」

※藤原道長『御堂関白記』より意訳。

なんと今回が初めてではなく、前から高子をつけ狙っていたというのです。

果たして道長は惟貞を土御門第の門前に晒しものとしました。惟貞は道行く人々から嘲笑を浴びたことでしょう。

しかし婦女暴行犯に対する罰としては非常に軽く、これが見せしめになるかと言えば微妙なところ。


おまけにあろうことか、道長は惟貞をすぐに釈放してしまいました。もはや罰する気がないのではないかと疑わしくなってしまいますね。

「やれやれ、えらい目に遭うたわい」

自由を取り戻した惟貞は、そのまままっすぐ高子の家へ。そして誰にも邪魔されず、逢瀬を楽しんだということです。

まさに三度目(それ以上?)の正直だったのかも知れません。

■二人はその後……。

もう我慢できない!未亡人となった兄嫁に猛烈アタックしてしまった平安貴族・藤原惟貞のエピソード【光る君へ 外伝】


藤原惟貞と再婚した藤原高子(イメージ)

かくして未亡人となった兄嫁・高子との再婚を果たした惟貞は、後に明賢(みょうけん。僧侶)・藤原範信(のりのぶ)を授かりました。

もしかしたら、道長も二人の関係を分かって黙認していたのでしょうか。

「すぐにも一緒になりたい気持ちは分かるが、せめて喪が明けるまで自重せぇよ」と。

これだけしつこいアプローチにも関わらず高子が嫌がらなかったのは、惟風の生前から二人の関係が続いていた可能性も考えられます。

ちなみに藤原高子は藤原儷子(れいし/うるわしこ)や藤原灑子(読み同じ)などとも呼ばれていました。


改名または別名を用いた時期は不明ながら、惟貞との不倫関係が何か影響しているのかも知れません。

■藤原惟貞・基本データ

  • 生没:生没年不詳
  • 両親:藤原文信/母親不詳
  • 兄弟:藤原惟風、本人、藤原惟忠、女子(源奉職室)
  • 官職:山城権守、尾張権守、遠江権守
  • 妻妾:藤原高子(のち藤原儷子or灑子)
  • 子女:明賢(僧侶か)、藤原範信?(明賢の子説も)
■終わりに

今回は兄嫁と恋仲になり、兄の死をキッカケに暴走?してしまった藤原惟貞について紹介しました。

惟風の喪が明けるまで我慢できなかったのでしょうね。何とも微妙な気分です。

NHK大河ドラマ「光る君へ」に彼らが登場することはないでしょうが、画面のどこかで活躍してないかな?……と、つい隅っこを覗き込んでしまいます。

※参考文献:

  • 倉本一宏『平安京の下級官人』講談社現代新書、2022年1月
  • 山中裕『平安時代の古記録と貴族文化』思文閣出版、1994年

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