1万年もある縄文時代、最新の研究で、更に色々とわかってきたことあります。

■土器からわかる食文化

超温暖化で激変した生活縄文時代は超温暖化だった時代でもあります。
縄文前期の6000年前にはなんと海水が200mも上昇!この時に今の瀬戸内海や東京湾が形成されたといわれています。

なので現在の沿岸部の貝塚から、沿岸部では生息していなかった動物の骨が見つかることもあり、以前は内陸部だったことを物語っています。

沿岸部に暮らしていた人々は徐々に徐々に移動を余儀なくされたわけです。

土器の使用方法展覧会に行くと大小さまざまな土器が目につきます。

大型で文様が簡素な「粗製土器」と小型で精巧な文様の「精製土器」に分かれますが、
粗製土器が縄文と弥生を区分する目安となっているようです。

この粗製土器は深型が多いのですが、大人数の料理を調理する豊富な食材があったとは考えにくいですね。

ですのでドングリやクルミの木の実など「食材を加工する」用で、あく抜きや、すり潰すために使われていたと推測されています。それはなんと土器についた「おこげ」の痕跡から判明したということです。

アジアで最古?焼き塩づくり縄文の焼き塩づくりは3500年前といわれていましたが、5000年前の可能性が浮上。それは塩釜についていた「ウズマキゴカイ」の一部が見つかったことから判明。

これは「藻塩」という製法で、海藻を敷き詰め焼いた灰を土器に入れて加熱したと考えられています。これは現時点でアジア圏で確認できる最古の塩づくりではとのこと。


藻塩そのものは現代でも作られ販売されており、栄養価が高いと評価されています。

なんと縄文人の製塩技術はアジア圏で最古だった!?〜 ここまで...の画像はこちら >>


火焔土器(レプリカ)

■土偶や装飾品にもこだわり

化石からアクセサリー!千葉県船橋市の取掛西貝塚の「ツノガイ」や「タカラガイ」は、長野県の栃原岩陰遺跡からも出土していて、沿岸部の貝が内陸部に流通していたことが判明。しかもその貝らは、遺跡よりも数万年も古いことも判明したそうです。

ということは、わざわざ化石を地層から掘り起こしてアクセサリーに仕立てたということです。

その理由は、貝は化石になると白くなるので、白い装飾品を作りたかったのでは?ということ。その証拠に、つややかな白いたくさんの貝輪や、滑車型ピアスも出土。

男女どちらも身に着けた可能性があり、立場の違いを示すためと考えられています。今までより、文化的な縄文人の姿が浮かび上がりませんか?

土偶の意味と役割
なんと縄文人の製塩技術はアジア圏で最古だった!?〜 ここまでわかってきた縄文時代


縄文のビーナス

仮面の女神や遮光器土偶など、そのユニークな形状で謎を呼ぶ土偶。土偶は、初期から「妊娠した女性」を象るものが多いです。

その集落で出土する土器と土偶の文様が似ているため、そのムラを特徴づける文様があったと考えらえています。

定住化が進むと狩りをするもの、木の実を加工する者など役割分担が生まれます。

ですので土偶は、ムラの未来を支えてくれる一員として、子どもの誕生を祈る気持ちから創作されたものでは、と推測されています。


土偶は縄文時代の全ての時代と遺跡から出土しているわけではなく、
・5000年前は長野や山梨
・3800年前は千葉や茨城
・3000年前は青森や岩手
と、時代と地域差があります。面白いですね。

これは何を意味しているのでしょうか。
・ある部族の文化が伝播して流行った?
・その文化を持つ部族が移住した?

定住化が進んだので後者は考えにくいですね。民族大移動ではなく、他の村々へ情報を得るために旅をした一部の人間同士の交流で、伝わったものかもしれません。

まだまだ面白い縄文時代。これからも発見に期待したいですね。

参考:『縄文時代を解き明かす 考古学の新たな挑戦』

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

編集部おすすめ