「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色盛者必衰の理をあらわす」の名調子で始まる『平家物語』。
鎌倉時代に成立したとされ、平家の栄華と没落、武士階級の台頭などが描かれています。
平家物語・祇園精舎(Wikipediaより)
ところでこの『平家物語』、現在も軍記物の名作として読み継がれていますが、にもかかわらずその作者の名は今も分かっていません。
もともと『平家物語』は鎌倉時代から琵琶法師によって語り継がれ、時代とともに肉づけされて創作が加えられてきました。
琵琶法師とは、琵琶を弾く盲目の僧体の人のことです。
彼らには、琵琶の伴奏により経文を唱えた盲僧の流れと、琵琶の伴奏により叙事詩を謡った盲目の放浪芸人の流れがあり、特に後者は鎌倉中期以降、もっぱら平家物語を語るようになりました。
■ややこしい加筆・増補の経緯
伝えられるところによると、『平家物語』は誰かが著した元となるストーリーに増補や加筆が重ねられ、平家滅亡から約100年後の13世紀初めに6巻構成となり、それから半世紀の間にさらに増補が重ねられて全12巻になったと伝えられています。

琵琶法師
ちなみに、平家物語は口承で伝わってきた「語り本」系と読み物としての「読み本」系に分類されます。
ここで述べている全12巻というのは語り本の「八坂流」系のものにあたります。平家四代の滅亡で終わる、いわゆる「断絶平家」12巻本のことです。
そして、語り本にはもうひとつ「流系」の諸本があり、こちらは壇ノ浦で海に身を投げながら助けられ、出家した建礼門院が念仏三昧に過ごす後日談や、侍女の悲恋の物語である「灌頂徴」があります。
こうしたいくつかの種類や、先述したような加筆・増補の経緯もあっていろいろとややこしい点もまた、原作者の正体の特定を難しくしている一因でしょう。
■答えは『徒然草』にあり!?
さてそれで、肝心のその原作者ですが、これについては過去に何人もの名が挙げられてきました。
その最古のものは、鎌倉時代末期に吉田兼好が唱えた「信濃前司行長」説です。

吉田兼好(Wikipediaより)
吉田兼好といえばかの『徒然草』の作者ですが、彼はその中で、学問があり才能に恵まれながら、不幸にも失意の人となった下級貴族の行長が、天台宗の座主・慈円に保護されながら『平家物語』を執筆したと書いています。そして、東国生まれの生仏という盲人に語らせたというのです。
ただ、兼好のいうこの信濃前司行長という人物が誰なのかは特定されていません。
摂関家である九条家の家司を務めていた藤原行長とも考えられていますが、この説も推測の域を出ず、結局『平家物語』の原型となるストーリーを誰が考えたかは分からないままです。
参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC,Wikipedia
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