戦国武将の幼名を見渡すと、「○○法師」という名前が多いことに気が付きます。
例えば織田信長の幼名は吉法師です。
『絵本太閤記』より、清洲会議で羽柴秀吉に擁される三法師(Wikipediaより)
なぜ当時はこのような名前が多かったのでしょうか。子供の名前に法師をつけるのには、どんな意味があったのでしょう?
漢字を見ればすぐ見当がつくと思いますが、「法師」とは本来、仏法に通じた人のことです。「法」は仏法の法であり、「師」は仏法にもとづいて人を導いていけるような立派な人を指します。
要するに、偉い僧侶・お坊さんのことですね。昔の男子は僧侶のように頭を剃っていたので、男児のこともそう呼ぶようになったのです。
おそらく、丸刈りに限らず男児のことを現在でも「坊主」「小僧」と呼ぶことがあるのは、この名残でしょう。
さらに、この「法師」の上に「吉」などのおめでたい字をつけると、ますます縁起の良い名前になるという感覚が当時の人にはあったようです。
■「〇〇丸」「〇〇千代」その他
その他にも、戦国武将の幼名として多いのが「○○丸」「○○千代」というパターンです。
「○○丸」の名前がつけられた人物には、夜叉丸(加藤清正)、芳菊丸(今川義元)、梵天丸(伊達政宗)がいます。

加藤清正像
また「○○千代」の名前は、竹千代(徳川家康)、虎千代(上杉謙信)、犬千代(前田利家)、鶴千代(蒲生氏郷)らがいますね。
両者の語源は何かというと、「丸」は実は「麻呂」がなまったもの。
また「千代」には永久という意味があり、子供の末長い幸福を祈る名前として人気があったようです。
ちなみに、反対に、戦国武将の中にはこうしたよくある幼名ではなく珍しい名前をつけた人もいます。
織田信長は、自分の子供に三法師という普通の名前を付けたかと思えば、「奇妙」や「人」など、前衛的といってもいい奇異な名前をつけたこともありました。
また徳川家康は、蹴飛ばしても壊れないような道ばたの石という意味の「ごろた石」にあやかって、我が子の幼名を「五郎太(丸)」としています。

徳川義直。幼名を「五郎太丸」「千々代丸」ともいった(Wikipediaより)
へそ曲がりというのはいつの時代にもいるもので、定番の幼名をつけなかったところに信長や家康の個性が垣間見えますね。
■大人になったら「入道」
さて、ここまでは戦国武将の幼少期の名前について解説しましたが、大人になった彼らの中には「入道」と呼ばれた者が多くいます。
例えば北条早雲や上杉謙信、武田信玄、斎藤道三、龍造寺隆信、細川幽斎などが挙げられます。中でも武田信玄は分かりやすく「信玄入道」とも呼ばれていました。
「入道」は、先述した「法師」と同じく仏教に関係した名称です。出家して仏門に入った人のことを指し、北条早雲も上杉謙信も武田信玄も、仏門に入ったから「入道」と呼ばれたのです。

北条早雲像
ただし、言うまでもありませんが、仏門に入ったからといって彼らが戦をやめ、殺傷を放棄したわけではありません。むしろ、入道となってからも大名としての地位を高めるべく、数々の合戦を戦っています。
戦国武将の多くが入道になったのは、いくつかの理由がありました。
その中でも最も大きな理由は、仏の力を借りてでも合戦に勝ち、領国をまとめあげたいと願ったからです。戦国の世は明日をも知れない不確定要素が多く、神仏の加護を期待せずにはいられなかったのでしょう。
画像:photoAC,Wikipedia
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