時の流れは速いもので、もうすぐ1年が終わりますね。そんな年末に、クリスマスやお正月と並んで、「宝くじ」を楽しみにしているという人も多いのではないでしょうか。


当たる確率が低いことはわかっていても、当たるかもしれない、というワクワク・ドキドキ感は宝くじならではですよね。

そこで、今回の記事では、知られざる宝くじの歴史やトリビアについてご紹介していきたいと思います。

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※この記事は宝くじの購入を勧めるものではありません。宝くじを購入する際はご自身の判断で、ご自身の責任でお願いいたします。

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■日本の宝くじは、お寺から始まった

世界各国で宝くじやそれに似たくじはありました。日本における宝くじの始まりは、諸説あるものの、約400年前のお寺にあると言われています。

1624年(寛永元年)、摂津国(現在の大阪府北西部と兵庫県南東部)にある「箕面山瀧安寺」が売り出した「箕面富(みのおのとみ)」と呼ばれるものでした。

現在の宝くじとは異なり、当選者にはお金ではなく健康や商売繁盛などを願う特別なお守りが贈られました。

江戸時代の地誌「摂津名所図会」には、このくじでお寺がにぎわっている様子が見られます。

■人気が過熱し、幕府は規制を設ける

「箕面富」の人気を受け、全国で金銭が当たる「富くじ」が広がっていきました。感応寺(台東区谷中)、瀧泉寺(目黒区下目黒)、湯島天神(文京区湯島)は「江戸の三富」と呼ばれるほどの人気に。

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あまりに人々が熱狂してしまったため、江戸幕府は1692年(元禄5年)に「人心を乱す」という理由で富くじを禁止しました。


1700年ごろには、幕府の財政が悪化。寺社を支援できなくなったことにより、寺社だけには修復費用調達の手段として、富くじの発売を許可しました。しかし、不正が横行したり、風紀が乱れたりといった理由から、天保の改革で全面的に禁止されました。

■第2次世界大戦末期に復活

国が公認した宝くじが復活したのは、第二次世界大戦末期でした。財政状況が悪く、戦費調達のため、1945年の7月に発売。1枚10円(1等10万円)の「勝札(かちふだ)」2,000万枚が売られました。「勝札買って、飛行機を」といったキャッチフレーズが使われていたとか。

しかし、くじの抽選日は8月25日。8月15日に終戦を迎えているため、人々は皮肉を込めて「負札(まけふだ)」と呼んだそうです。

■戦後復興にも使われた

戦後は、復興のためにも宝くじが使われました。戦災復興資金を集めるために、名前も「勝札」から「宝くじ」へと変更。戦後、疲弊していた人々の「生きる希望」として定着していったと言われています。


いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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