この文化を象徴するのが、「氏神((うじがみ))」と「鎮守(ちんじゅ)」という二つの神様です。
どちらも地域を守る重要な存在ですが、その起源や役割には違いがあります。
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■氏神とは?
氏神は、もともとその地域の有力者である氏族の祖先を祀る守護神として始まりました。
氏神信仰は、奈良・平安時代の貴族階級に限られていたものの、次第に一般庶民にも広がりを見せました。地域全体を守る神として崇拝されるようになり、今日の「氏神信仰」として形を変えていきました。
特に、氏神は自分が生まれ育った土地を守る神として、人々にとって身近で重要な存在となり、地元の守り神として多くの信仰を集めました。
また、現在でも行われている子どものお宮参りも、この氏神に対して行われる儀式の一つです。お宮参りは、子どもが新たにその土地の一員となることを認めてもらうために、氏神にお参りをする伝統的な行事です。
これによって、地域社会とのつながりを深めるとともに、神々の加護を得ることが目的とされてきました。
■鎮守とは?
平安時代以降、武士の台頭とともに氏族社会が衰退し、荘園制度が確立されます。荘園は貴族や寺院が所有する私有地で、領主たちはその土地を守る神として、新たに鎮守を祀るようになりました。
鎮守とは、特定の土地を守護する神であり、地域の安全や繁栄を願ってその土地ごとに祀られました。
このように、鎮守は氏神信仰とは少し異なり、より広範囲な土地を守護する神として、特に荘園領主たちにとって重要な存在となりました。元々の氏神もその役割を引き継ぐ形で、鎮守として祀られることがありました。
このため、氏神と鎮守は時代を経る中で融合し、両者は地域を守る神として共存するようになったのです。
鎌倉時代や室町時代には、一時的に氏神や鎮守信仰が衰退する時期もありましたが、江戸時代に入ると、再びこれらの信仰が盛んになります。この時期には、氏神と鎮守の区別が曖昧になり、両者が同じように地域住民にとって「土地を守る神」として信仰されるようになりました。
江戸時代の庶民文化の中で、氏神も鎮守もともに地域の安全や繁栄を願う神として、より一層重要な役割を果たしていきました。

また、地域ごとの祭りや行事においても、氏神や鎮守へのお参りが一般的な習慣として定着しました。このように、両者はそれぞれの時代に応じた形で人々の生活に深く根ざし、地域と人々を支える神として広く信仰され続けました。
氏神と鎮守は、それぞれの時代背景に応じて形を変えながらも、地域社会を支える重要な存在として、人々の生活に深く結びついてきました。
これらの信仰は、単なる宗教的な儀式にとどまらず、人々の心の中に強く根付いており、今でも地域における絆や文化を象徴するものとして受け継がれています。
地域を守る神々への思いは、時代が変わっても今もなお、私たちの生活の中で息づいているのです。
参考:戸矢学『氏神事典 あなたの神さま・あなたの神社』(河出書房新社 2009)
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