いよいよ最終盤の第46回「刀伊の入寇」では、大宰府へやってきたまひろ(藤式部。吉高由里子)が異民族・刀伊(とい。
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刀伊の軍勢は対馬・壱岐を略奪し、破壊と殺戮の限りを尽くしました。しかし現地の人々も、ただ黙ってやられてしまった訳ではありません。
今回は壱岐島で刀伊の大軍を迎え撃ち、玉砕してしまった国司(壱岐守)の藤原理忠(まさただ)そして嶋分寺の住職・常覚(じょうがく)を紹介したいと思います。
■20倍以上の敵に突撃した藤原理忠

刀伊の軍勢(イメージ)
藤原理忠は生年不詳、出自や家族などについても詳しいことは分かっていません。
寛仁3年(1019年)に発生した刀伊の入寇時点で壱岐守であったことが分かっています。
対馬を襲撃、火の海にした刀伊の軍勢は壱岐にも上陸。老人や子供を虐殺して成人男女をさらい、集落を焼いて家畜や財産を略奪しました。
老人や子供は売り物にならない(奴隷として高値で売れない)から殺し、成人男女は売り物として値がつくからさらうのですね。
賊徒が暴れ回っているとの急報に接し、理忠は国衙の軍勢147名を率いて討伐に出ました。
しかし刀伊の軍勢はその数3,000。とても太刀打ちできる相手ではありません。
覚悟を決めた理忠は20倍以上の敵にも怯まず突撃。玉砕してしまったのでした。
■藤原理忠・基本データ
生没:生年不詳~寛仁3年(1019年)没
氏族:藤原氏(詳細不明)
両親:不明
兄弟:不明
妻妾:不明
子女:不明
位階:不明
官職:壱岐守
死因:戦死(推定)
墓所:長崎県壱岐市勝本町立石南触
■刀伊の軍勢を3度も撃退!壱岐嶋分寺の死闘

刀伊の軍勢を迎え撃つ常覚(イメージ)
官軍を殲滅した刀伊の軍勢は、続いて壱岐嶋分寺(国分寺)を襲撃します。
ここには多くの島民が避難しており、寺の住職であった常覚(じょうがく)は徹底抗戦を訴えました。
「降伏しても殺されるか、奴隷にされるかしかない。それならみんなで力を合わせ、最期まで戦おう!」
島民たちはこれに応え、壱岐嶋分寺に立て篭もって刀伊の軍勢を迎え撃ちます。
古来「窮鼠猫を噛む」とはよく言ったもので、何と島民たちは刀伊の軍勢を3度まで撃退したのでした。
しかし敵は大軍であり、なおも執拗な攻撃に耐えかねてしまいます。
「和尚様だけでも、お逃げ下さい!」
「生きて我らの菩提を弔い、必ず仇をとって下さい!」
そこで常覚は一人壱岐を脱出し、大宰府へ駆け込んで現地の惨状を訴えたのでした。
間もなく壱岐嶋分寺は陥落し、島民らはことごとく討ち滅ぼされたということです。
■壱岐の惨状。
この襲撃によって、壱岐では以下の犠牲者が出ました。
【国衙】
殺害148名(藤原理忠と兵士147名)
【壱岐嶋分寺など】
殺害148名(男性44名、女性59名、子供29名、僧侶16名)
拉致239名(すべて女性)
【生存者】
35名(諸司9名、郡司7名、領民19名)
ここにあるのはあくまで壱岐国衙付近の犠牲者数であり、実際には当局が把握し切れていない被害が出ていたものと考えられます。
壱岐の僧 常覚(じょうがく)常覚はその後も大宰府で刀伊を迎え撃つ軍勢に加わり、藤原隆家(竜星涼)の指揮下で奮戦しました。
タイソン大屋(たいそんおおや)
壱岐の僧。賊の襲撃を受けた壱岐を一人で脱出し、状況を大宰府へ報告する。
※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより。
果たして彼らの闘いぶりがどのように描かれるのか、今から楽しみですね!
※参考文献:
- 関幸彦『刀伊の入寇 最大の対外危機』中央公論新社、2021年8月
- 瀬野精一郎『長崎県の歴史』山川出版社、1998年10月
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