たとえば、お正月やお祭り、結婚式や卒業式など、普段とは違う特別な行事の日のことです。
普段の生活から離れて、特別な気分を味わう日が「ハレ」なのです。
もともと「ハレ」という言葉は、「晴れ」という言葉から来ています。「晴れの舞台」や「晴れ着」など、今でも私たちが使う言葉にもその名残があります。特に「晴れの舞台」とは、一生に一度のような大事な場面を指し、「晴れ着」は特別な儀式やイベントのための衣装を意味します。
これに対して、普段の服を「ケ着」と呼ぶこともありましたが、この言葉は明治時代以降には使われなくなりました。また、江戸時代の記録では、長い雨の後に晴れ間が出たような特別な日を「晴れ」と記している例もあると言われています。
「ハレ」の日には、餅や赤飯、尾頭付きの魚、お酒などが飲食されました。当時の庶民にとって、こうした食べ物は普段の生活では食べられない贅沢なものでした。

我々日本人は古来より、「ハレ」の日には赤飯を食べて祝ってきた
普段の食事は、雑穀や漬物といった質素なものでしたから、これらの特別な食べ物が「ハレ」の象徴だったのです。また、使う器も日常とは違い、「ハレ」の日専用の特別なものが使われました。
一方、「ケ」とは、普段の生活そのものを指します。
学校に通ったり、家で勉強をしたり、友達と遊んだりする、いつもの毎日のことです。ただ、生活の中でうまくいかないことが起きた時、たとえば病気になったり、悲しいことがあったりすると、それを「ケガレ」と呼びました。
「ケガレ」とは、心や体が元気でない状態のことで、昔の人たちは、それをお祓いなどで清めて元の生活に戻すようにしていました。

この「ハレ」と「ケ」を大事にすることで、昔の人たちは生活にメリハリをつけていました。普段の「ケ」の生活をしっかり送りつつ、時々「ハレ」の特別な日を迎えることで、楽しみや元気を取り戻していたのです。
1603年頃にイエズス会が作った『日葡辞書』には、「ハレ」は「Fare」と表記され、「表立ったこと、人々が集まる所」と説明され、「ケ」は「Qe」と書かれ、「普通の、日常のもの」とされています。
これを見ても、昔の日本人が「ハレ」と「ケ」をはっきりと区別していたことがわかります。
今では、「ハレ」と「ケ」という言葉を使うことは少なくなりましたが、「晴れ舞台」や「晴れ着」などの言葉には、この考え方が残っています。
例えば、大切な行事や発表会で特別な服を着たり、頑張った成果を見せる場面を「晴れ舞台」と呼ぶのも、「ハレ」の特別さを表しているのです。
こうした「ハレ」と「ケ」の考え方は、普段と特別をしっかり区別し、日常生活にけじめをつけるためのものでした。
現在ではこの区別が薄れてきたとはいえ、特別な日を大切にする気持ちは、今も私たちの中に息づいているのではないでしょうか。
「ハレ」と「ケ」を意識することで、毎日の生活に新たな意味や楽しさを見つけられるかもしれませんね。
参考
- 桜井徳太郎ほか『共同討議 ハレ・ケ・ケガレ』(1984 青土社)
- 桜井徳太郎『結衆の原点―共同体の崩壊と再生』(1985 弘文堂)
- 新谷尚紀『ケガレからカミへ』(1987 木耳社)
- 波平恵美子『ケガレの構造』(1984 青土社)
- 宮田登『ケガレの民俗誌―差別の文化的要因』(1996 人文書院)
- 柳田國男『明治大正史 世相篇』(1993 講談社)
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