2025年NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華之夢噺~」、皆さんも楽しみにしていますか?

本作では江戸のメディア王として活躍した蔦重こと蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)の生涯が、活き活きと描かれることでしょう。

本作には多くの人物が登場しますが、今回は高梨臨が演じる「知保の方(ちほ。
智保、蓮光院)」を紹介。果たして彼女がどんな生涯をたどったのか、見ていきたいと思います。

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栄光の頂点を目前にしながらの不運…高梨臨が演じる「知保の方」の生涯をたどる【大河ドラマ べらぼう】


■栄光の頂点を目の前にして……

栄光の頂点を目前にしながらの不運…高梨臨が演じる「知保の方」の生涯をたどる【大河ドラマ べらぼう】


知保と家治の子・徳川家基(画像:Wikipedia)

知保は元文2年(1737年)11月15日、津田信成(つだ のぶなり。宇右衛門)の娘として誕生しました。

のち伊奈忠宥(いな ただおき)の養女となり、寛延2年(1749年)11月から大御所の徳川家重(第9代将軍)に御次として仕えます。

はじめ「お蔦(つた)」の名で呼ばれ、やがて「知保(智保)」と改められました。

寛延4年(1751年)1月18日に御中臈へ昇進し、家重死後の宝暦11年(1761年)8月5日には江戸城本丸の大奥へ移ります。

そして徳川家治(第10代将軍)の側室となり、宝暦12年(1762年)10月25日には家治の長男・竹千代(のち徳川家基)を生みました。

しかし竹千代は将軍御台所である五十宮倫子(いそのみや りんし/みちこ、ともこ)の養子として引き取られ、離れ離れになってしまいます。

それでも竹千代の生母として老女上座の待遇を与えられ、丁重な扱いを受けました。

明和6年(1769年)に竹千代改め徳川家基が将軍世子となり、江戸城西ノ丸へ移ると知保も西丸大奥へ移ります。

同年4月にはかつての浜女中(はまのじょちゅう。
家重側室)と同格の待遇を与えられ、明和8年(1771年)に御台所の五十宮倫子が亡くなると、御部屋様(おへやさま)と呼ばれる待遇を受けました。

御部屋様とは将軍世子の生母を指します……って、元から世子(徳川家基)の生母なんですけどね。まどろっこしいけど、こういう格式は大事なようです。

さぁ後は我が子・家基の将軍就任を待つばかり……というところで、安永8年(1779年)に家基が18歳で夭折してしまいました。

栄光の頂点を目の前にしながら、不運としか言いようがありませんね。

やがて天明6年(1786年)に家治が先立ってしまうと、落飾して蓮光院(れんこういん)と号します。

同年11月3日に江戸城二ノ丸へ移って隠居し、寛政3年(1791年)3月8日に世を去りました。享年55歳。

■終わりに

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知保の方(イメージ)

今回はお知保の方(蓮光院)について、その生涯をたどってきました。

我が子・家基の前途を夢見ながら、それが絶たれてしまった悲しみは察するにあまりあるものです。

果たしてその死は病いなのか、それとも……といったあたりも大河ドラマで描かれるのでしょうか。高梨臨の好演に期待したいと思います!

※参考文献:

  • 高柳金芳『江戸時代選書 9 徳川妻妾記』雄山閣、2003年8月
  • 竹内誠ら編『徳川「大奥」事典』東京堂出版、2015年1月

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