■死者と赤色

弥生時代から古墳時代にかけての墳墓から発見された木棺や石棺には、内部が赤く塗られているものが少なくありません。

たとえば、吉野ヶ里遺跡から出土した甕棺には赤い色が残っていますし、藤ノ木古墳の石棺内部はみごとな朱に塗られていました。


弥生時代〜古墳時代の遺物が赤く塗られていたのは何故か?〜「赤...の画像はこちら >>


藤ノ木古墳墳丘・石室入り口(Wikipediaより)

その他の遺跡から発掘された棺も、内部を赤く塗ったものが目立ちます。

これは、棺内部を血の色と同じ赤にすることで、死者を蘇らせようと願ったのではないかと考えられています。

存命中、人間の血は鮮やかな赤色ですが、死者の血はドス黒く変色していきます。そこで、棺内部を鮮血の色に染めることで、死者が鮮やかな血の色を取り戻して生き返ってほしいと願ったのでしょう。

赤い塗料の原料は、多くの場合は水銀朱です。水銀朱は水銀と硫黄をまぜることで作られ、鮮やかな朱色をしています。

古代の赤色は、私たちが赤色と聞いてすぐイメージするあの色ではなく、朱色が基本でした。

■身体も塗っていた弥生人

また、土器でも赤い色をしたものが発見されることがあります。酸化鉄を塗って赤く発色するように焼き上げられたものです。

そうした赤い土器は遺体を納めた甕棺のそばから発見されるため、これにも同様に死者が鮮血を取り戻して、蘇ってほしいという願いが込められていたと考えられています。

弥生時代〜古墳時代の遺物が赤く塗られていたのは何故か?〜「赤色」をめぐる古代人の精神性


吉野ヶ里歴史公園の「甕棺墓列」

また魏志倭人伝では、当時の倭人は呪術的な目的で全身を朱で塗っていたという記載があります。

古代より日本で使用された赤色顔料にはベンガラ、水銀朱、鉛丹の3種類がありますが、体に塗っていた朱は赤色顔料で、硫化水銀。
丹は赤色の土のことを指します。

弥生時代から古墳時代にかけての赤色顔料としては、主に鉄を主成分とするベンガラと、水銀を含む水銀朱が知られていますが、このうち最も古くから使われていたのはベンガラです。

ちなみに北海道の約1万7千年前の遺跡からは、ベンガラが付着した台石を含む、顔料生産の関連遺物が発掘されています。

■呪術でもあり美術でもある色

さらに魏志倭人伝には「日本(倭国)には丹(に)を体(顔)に塗る風習と、丹を産する山がある」ことが記されていて、当時の中国では日本で辰砂の採れることが知られていました。

赤色顔料は旧石器時代から使用されていましたが、古墳時代の人々も赤い色が持つ魔除けなどの意味や、顔料の防腐効果を期待して墓に使用していたのでしょう。

赤の染料は、古代までは茜や朱がメインでしたが、5世紀頃に紅花が加わったことで、より鮮やかな赤を表現できるようになりました。

弥生時代〜古墳時代の遺物が赤く塗られていたのは何故か?〜「赤色」をめぐる古代人の精神性


染料として使われた紅花

こうして、日本人にとって赤色は、呪術的な意味合いと美術的な意味合いの両方を兼ね備えたカラーとして受け継がれてきたのです。

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参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC,Wikipedia

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