「人間五十年、下天のうちにくらぶれば夢まぼろしの如くなり。一度生を享け滅せぬもののあるべきか」。
これは、織田信長が桶狭間の戦いの直前に歌い舞ったことで知られる幸若舞(こうわかまい)の一部です。
人間五十年…は昔の平均寿命じゃない?織田信長が好んだ幸若舞「敦盛」に唄われた真意とは
幸若舞は、室町時代に成立した曲舞の一派で、拍子に合わせて長い物語を舞いながら語る芸能のこと。
源平合戦など、武士の華やかな活躍や哀しい物語を主題にしたものが多く、中世から近世にかけて能と並んで武家達に愛好されました。

織田信長(Wikipediaより)
ドラマなどでは、信長は本能寺で最期を迎えるときにもこれを舞っていることが多いですが、これはフィクションです。
というより、信長の最期の様子を目撃した人は誰も(生き残って)いないので、舞っていないとは言い切れないのですが……。
まあ明智光秀の軍勢に包囲されている状態で、それどころではなかったというのが常識的な見方でしょう。
いずれにせよ、信長がこの舞を非常に気に入っていたことは間違いありません。
■元ネタは『平家物語』
さて、この「人間五十年……」は、歌詞の一部だけが有名になりすぎており、そもそもこれは何という作品なのか? と聞かれたら回答に窮する人も多いのではないでしょうか。

愛知県の清洲公園にある『桶狭間出陣乃歌』歌碑
これは、先述した通り幸若舞というジャンルに属する謡曲の一部で、タイトルは『敦盛』。
題材となったのは『平家物語』の一節で、平清盛の甥にあたる平敦盛が、一の谷の戦いで熊谷直実に討たれる場面です。
信長は、鷹狩や相撲観戦、茶の湯を趣味としていましたが、舞も好んでいました。
とはいえ、能はあくまで見るものであり、また客人に見てもらうために演じさせるものであり、自分で演じることはなかったようです。
信長が自ら演じたのはもっとシンプルな舞で、なかでもこの『敦盛』を得意としていました。
■織田信長の意外な一面?
歌の内容は、「人の一生は五十年だというが、下天に比べたら、ほんの一瞬にすぎない」という意味です。
少し解説すると、「下天」とは仏教用語で、四天王とその一族が住むところを指します。
下天では、一昼夜が人間界の五十年にあたるとされているのです。
この、あまりにも短い一生をいかに生きるか、無駄な時間などないと、信長は自分に言い聞かせるためにこの舞を愛したのかも知れません。

織田信長像(桶狭間古戦場公園)
織田信長ほどの破天荒な人物が、人の世の儚さについて歌っているこの曲を愛したというのは、考えてみればちょっと意外でもあります。
しかし、信長のこうした意外な一面が、彼の人物像をより魅力的なものにしているのは間違いないでしょう。
参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC,Wikipedia
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