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仇討ちのルール
では、仇討ちには具体的にどんなルールがあったのかというと……

- 仇討ちできるのは、師匠または父母・叔父叔母・兄姉など目上の近親者が殺された場合のみ。子供の敵を親が討つことはできない。
- 主君(藩庁)に仇討ちすることを届け出て、許しを得ないといけない。
- 返り討ちにあった場合、その仇討ちは許されない。
藩が仇討ちを許可したら、幕府にその旨を届けて、町奉公所の敵討帳と言上帳(ごんじょうちょう)に帳付けしてもらうことで、町奉公所から敵討ち許可書である書替(かきかえ)を貰えるというわけ。これで、ようやく仇討ちができるのです。
きちんと手続きしたら恩恵あります

仇討ちをするからにはルールに従うしかありません。開始するまでに意外と手間ひまがかかりますが、きちんと手続きを行うことでいいこともあったのです。
敵を探す旅先の諸大名の城下町で敵を見つけたら、いきなり仇討ちを開始するのは得策ではありません。まずは藩役所に訴え出ると、敵の身柄を拘束してくれるだけでなく、仇討ちの場所を設営してもらえるなどのメリットがあったとか。
長ーい時間がかかる壮大なミッション
この仇討ちを全うするために、10年から20年かかることは普通で、中には53年かかってようやく仇討ちできた人もいたようです。53年間、仇討ちをすることが常に頭にあるなんて、しんどいという言葉では表せないほどの壮絶な人生ですよね、きっと。
それでも仇討ちできたらいい方なのかもしれません。仇討ちできないまま、命が尽きた人も少なくなかったようです。
時代は変わって仇討ちは禁止に

明治6年(1783年)に太政官布告(だいじょうかんふこく)により否定・厳禁されたことで、これまで称賛されてきたのに、翻すかのように公権を犯すものとして扱われた仇討ち。
それなのにその7年後の明治13年に、福岡県士族の臼井六郎は、父母の敵として、東京城東裁判所判事の一ノ瀬直久を仇討ちしてしまったのです。普通ならば、死刑間違いなしです
が、幸いに臼井六郎は、武士であったことが考慮されて死刑を免れたのです。終身刑(9年で釈放)でとどまったのは、まさに武士という身分があったからこそ。
仇討ちの機会に恵まれたとしても返り討ちにあう可能性があるのですから、実にリスクが大きいプロジェクト。まさに、仇討ちは、自分の命を懸けてやるものなのですね。
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