戦国時代の武将や兵士たちは、合戦時にどのように生理的欲求を処理していたのでしょうか。ここでは、睡眠と食事について解説します。
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まず睡眠の話ですが、当時の合戦は、普通は一日では終わりません。敵方とにらみあったまま、何日も膠着状態になることもあれば、戦線が広がって転戦しなければならないこともありました。
で、何日間もそうした状態が続けば、体力のある武将たちでも睡眠をしっかりとらないことには体がもちませんでした。
では、彼らはいつどのように睡眠をとっていたのでしょうか?

実は、合戦中でも武将たちは、かなりしっかり睡眠をとっていました。
むろん、夜襲の恐れもあるので無防備に眠りこけていたわけではありません。陣城と呼ばれた囲いをつくって防御ラインを築き、見張りを各地に立てたうえで幔幕を張り、そのなかで眠ったのです。
眠り方としては、藁にもぐって寝る者もいれば板の上で寝る者もいたとか。彼らは限られた設備の中で最大限の休息を確保するため、知恵を絞っていたのでしょう。
明日にも合戦だという緊迫した状態が続けば、鎧兜をつけたまま寝ることもありましたが、そうでない場合は鎧兜を脱ぎ、当時の寝巻である小袖姿で眠りにつくこともあったとか。
■米を小出しに与えた理由はまさかの…
次に食事の話ですが、兵たちのご飯はどうなっていたのでしょう。
戦国時代も後半になると、補給を専門とする荷駄隊が登場しました。武将たちは、荷駄隊が運んできた米などを配下に配り、兵はそれを炊いて食べました。
ただし、武将たちは米を一度にまとめて渡したわけではありません。大抵は三日か四日分を渡し、それがなくなるとまた三日か四日分の米を渡したのです。
なぜ、こんなふうに米を小出しにしたのでしょうか?
小出しに米を渡すのは、武将たちが兵を信用していなかったからです。
通常の合戦では、十日分ほどの米があれば十分でした。だからといって十日分の米をすべて渡すと、それを原料にして酒を造る輩がいたのです。

戦国時代の戦場では、こっそり米を発酵させて酒にしてしまう兵が少なくありませんでした。
大事な米を酒に変えてしまえば、途中で米が尽き、飢えることになりかねません。そこで、武将は米を小分けにして配り与えたのです。
三日か四日分ずつ米を渡せば、たとえ酒を造っても飢えるのは一~二日程度で済みます。その程度の空腹なら兵士として機能するはずという計算から、武将は米を小出しに与えたのでした。
参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC,Wikipedia
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