遊郭だから遊女が主役なのは当然ですが、吉原で活躍していたのは彼女たちだけではありませんでした。
今回は蔦屋重三郎が天明4年(1786年)に発行した『吉原細見五葉松(よしわらさいけん・ごようのまつ)』から、男芸者と呼ばれた人々を紹介したいと思います。
果たして男芸者とは、どんな活躍をしていたのでしょうか。
■吉原細見とは?男芸者とは?
その前に、まず吉原細見(よしわらさいけん)とは何か簡単に説明しますと、吉原遊郭のガイドブック。現代で言えば風俗情報誌のようなものです。
どこの店にどんな遊女がいるか、吉原遊郭の街並みが手に取るように分かりました。
『吉原細見五葉松』に見る吉原遊郭の見世並。(江戸東京博物館所蔵)国書データベース
これに創意工夫を盛り込んだのが蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)。吉原細見をキッカケとして出版界に台頭し、やがては江戸のメディア王に成長していくのでした。
話を戻して、今回のテーマである男芸者の紹介欄は後半。女芸者と同じページに収録されています。
「女芸者って、遊女じゃないの?」
そんな疑問もありましたが、彼ら彼女らは芸者という名のとおり、芸は売っても身は売りません。
もしかしたら「男芸者とは男娼(陰間)のことか」と思われて(期待して?)いたかも知れませんが、別物です。
それでは男芸者たちが吉原遊郭でどんな芸を売っていたのか、見ていきましょう。
■男芸者たちのプロフィール
『吉原細見五葉松』には、男芸者たちの名前がズラリと並んでいます。これだけだと誰が何の芸に秀でているのかわかりません。

蔦屋重三郎『吉原細見五葉松』より、男藝者之部。
そこで今回は、各人について調べた限りを簡単に紹介しましょう。
- 十寸見蘭洲(ますみ らんしゅう)
- 十寸見蘭示(ますみ らんし)
- 十寸見東洲(ますみ とうしゅう)
- 山彦半二(やまびこ はんじ)
- 山彦藤二(やまびこ とうじ)
- 吾妻路宮古太夫(あづまじ みやこだゆう)
- 春富士陸奥太夫(はるふじ むつだゆう)

※詳細不明。
- 富木豊善太夫(とみき ぶぜんだゆう)
- 常盤津安和大夫(ときわづ あんなだゆう)
- 常盤津大和大夫(ときわづ やまとだゆう)
- 富本加賀路大夫(とみもと かがじだゆう)
- 名見嵜徳治(なみさき とくじ)
- 鳥羽屋里慶(とばや りけい)
- 名見嵜兵助(なみさき へいすけ)
- 名見嵜市太(なみさき いちた)
- 名見嵜八五郎(なみさき はちごろう)
- 荻江藤兵衛(おぎえ とうべゑ)
女性たちの名前に交じって一人名前があること、絵も踊る三人の女性を後ろから大きな蛸がのぞく構図であること。これらの特徴から、好色な印象を受けます。
- 荻江藤治(おぎえ とうじ)
- 荻江松蔵(おぎえ まつぞう)

荻江松蔵(右下)。喜多川歌麿筆
※喜多川歌麿の浮世絵「荻江松蔵 峰 いと」にその姿が描かれています。
- 荻江藤三(おぎえ とうぞう)
- 荻江藤蔵(おぎえ ふじぞう)
- 荻江文三(おぎえ ぶんぞう)
- 竹本力太夫(たけもと りきだゆう)
- 長門万里(ながと ばんり)

社楽斎万里『大通一寸廓茶番(いきちょんぢょんくるわのちゃばん)』(東京都立中央図書館所蔵)国書データベース
※幇間(ほうかん、太鼓持ち)で、戯作者・社楽斎万里としても活動。黄表紙『大通一寸廓茶番』『島台目正月』などが伝わります。
- 野沢栄治(のざわ えいじ)
- 大坂屋五丁(おおさかや ごちょう)
- 大薩摩目吉(おおざつま めきち)
- 市川長二(いちかわ ちょうじ)
- 三味子利八(しゃみす りはち)
- こんぱる平吉(金春?へいきち)
- 福舛屋嘉吉(ふくますや かきち)
- 惣藝者 竹本岩太夫(たけもと いわだゆう)
- 世話役 野沢平治(のざわ へいじ)
■終わりに
今回は蔦屋重三郎『吉原細見五葉松』に名前のあった男芸者たちを紹介しました。
男芸者と聞くと幇間や陰間を連想しがちですが、三味線や唄などの芸をもって宴席を盛り上げる者も多くいたようです。
果たしてNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」にも、彼らは登場するのでしょうか。今から楽しみにしています。
※参考文献:
- 江戸東京博物館 蔵『吉原細見五葉松』国書データベース
- 「吉原細見」に見られる男芸者一覧(稿)
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