大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の第4回「『雛形若菜』の甘い罠」で、錦絵制作のため呉服屋をスポンサーにすることに成功した蔦屋重三郎。

安永から天明にかけて活躍した浮世絵師・礒田 湖龍斎(いそだ こりゅうさい)にその錦絵を依頼しました。


『雛形若菜』は吉原に興味のある男性だけではなく女性にも人気となり江戸中で大ヒット。100枚以上にわたる人気シリーズものとなっていったのでした。

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大河「べらぼう」に登場!蔦屋重三郎が手がけた吉原遊女たちの錦絵『雛形若菜』(画:礒田湖龍斎)を解説【前編】
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【後編】では、さらに独自の美人画ジャンルを築いていった礒田 湖龍斎をご紹介します。

大河「べらぼう」に登場!蔦屋重三郎が手がけた吉原遊女たちの錦絵『雛形若菜』(画:礒田湖龍斎)を解説【後編】


礒田 湖龍斎「雛形若菜の初模様 金屋内うきふね」

■多色刷りの彩り豊でかで華やかな錦絵が人気に

ドラマ「べらぼう」では、錦絵を描いた浮世絵師・礒田 湖龍斎を、お笑い芸人・鉄拳さんが素顔で演じていたことも、SNSでも話題になりました。

もともと絵心のある鉄拳さんですが、礒田 湖龍斎のことは知らず浮世絵指導の先生とともに毎日練習したそう。

ドラマの公式サイトによると、鉄拳さんは湖龍斎の絵は「髪の毛なども本当に細かいし、顔の輪郭や肉付けはうねるように描いている」「妖艶な雰囲気の見せ方などがすごくうまい人だな」などと語っています。

浮世絵は最初の頃は、木版画で1~2色を使うくらいだったそうです。

けれども、18世紀後半には多色刷りの彩り豊かで華やかなものが作られるようになり「錦絵」と呼ばれ人気となりました。

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浮世絵に描かれた木版画製作の光景 wiki

錦絵の代表作として一般的に現代でも広く知られている作品としては、葛飾北斎の「富嶽三十六景」、歌川広重の「東海道五十三次」、喜多川歌麿の「ポッピンを吹く女(ビードロを吹く女)」などが挙げらます。

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喜多川歌麿 ビードロを吹く女.wiki

■楚々とした美人画から肉感的な美人画へ変化

艶やかな着物をまとった多色刷りの美しい錦絵『雛形若菜』。

礒田 湖龍斎の出自は、土浦藩(現在の茨城県土浦市)に仕える武士でした。

もともと画の才能があったのか、浪人となったのちに浮世絵師へ転身したそうです。


湖龍斎は、当時一世を風靡した人気浮世絵師・鈴木晴信の影響を受けていました。

晴信の画風は、肉感的な要素はなく、男女ともに華奢で可憐で中性的な雰囲気の美人画が特徴。

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細身で可憐、繊細な表情が特徴。鈴木春信 中納言朝忠(文読み)」wiki

湖龍斎は、そんな晴信の画風に影響を受け、似たような作風を得意としていましたが徐々に変化してきます。

そして、鈴木晴信の没後は、楚々とした美女よりも肉感的ボリューム感のある美人画というジャンルを確立。錦絵『雛形若菜』は、その作風で花魁や禿などを細密に描いたそうです。

■100枚以上も描かれ続けた『雛形若菜』

湖龍斎以外の絵師も参加し、100枚以上描かれ続けた『雛形若菜』。

描かれている花魁・禿・新造は、その当時流行している着物・帯を着こなし、凝った髪型をしています。

丁寧に描かれている上に、吉原のガイド本『一目千本』と比較すると、非常に色鮮やかなものでした。

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浮世絵の木版 wiki

湖龍斎の繊細で緻密な絵は非常にリアルだったため、「有名な花魁が着こなす◯◯屋のトレンドの着物」というようなファッションブックとして、女性の間でも人気が出たそうです。

サイズも大判(約39×27センチ)で迫力があり、手に取ると錦絵の世界に惹き込まれるような魅力があったのでしょう。

さらに湖龍斎は、柱や壁に貼り付ける極端に細長い「壁絵」「柱絵」というジャンルを開拓していきます。


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柱絵の作例。鳥居清長画。

細長いレイアウトの絵は、華奢で物静かな晴信風の女性よりも、湖龍斎のように伸びやかでいきいきとした美女のほうがあっていると評判だったそうです。

湖龍斎や鳥居清長などの浮世絵師も手がけたこれらの「壁絵」「柱絵」は、限られた細長い紙の中に見事に構図を収めている……と、外国人にかなり驚かれたそうです。

■嵌められ悔し涙を流した蔦重の次の一手は

ドラマでは、蔦重がまんまと嵌められたストーリーとなっています。

企画を立て・資金作りに呉服屋の宴席を盛り上げ・営業をかけ・絵師にお願いし苦労して刷り上げた『雛形若菜』。

お披露目の席で、楼閣主やスポンサーの呉服屋の旦那衆に「これは売れる!」と評価され手応えを感じるも、「お前は版元として売る資格はない」と排除されてしまいます。

すべては、蔦重に嫉妬と警戒心を抱いた老舗の地本問屋・鱗形屋孫兵衛(片岡愛之助)らの罠で、蔦重は利用するだけ利用されてしまったのでした。

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地本問屋 wiki

憤ったものの妓楼の親父たちから「吉原のため」と言われ、悔し涙を流しながらこのビジネスから外れます。

下請けに仕事を丸投げしてさんざん利用し、お金も払わず成果物は自分のものにする……現代でもよくある話で、蔦重の憤りに共感した人も多かったようです。

けれども、「お江戸のエンタメを作り出した名プロデューサー」蔦谷重三郎がこんな罠に絶望して本作りを諦めてしまうわけありません。

ドラマの中では、「錦絵」出版にあたり、平賀源内(安田顕)に、本屋の堂号(版元としての屋号)を付けてもらうように頼み「耕書堂」の名前をもらいます。


実際は「耕書堂」の由来は定かではないそうですが、源内に「書物を通じて世を耕せ」といわれた蔦重。

今後、どんな才能ある浮世絵師と出会って仕事をしていくのか、どのように既得権益の壁をぶちやぶって活躍していくのが楽しみです。

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歌川豊重の錦絵「鶴屋内 藤原」右下に蔦屋重三郎の版元印がある。

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