日本の戦国時代は、ヨーロッパでは大航海時代。日本にも、東南アジアと交易する商人がけっこういました。
その代表例が、1978年に大河ドラマの主人公にもなった呂宋助左衛門です。彼は安土桃山時代にルソンに渡海し、貿易商を営むことで巨万の富を得ました。
呂宋助左衛門の像(Wikipediaより)
彼は文禄3年(1594年)7月20日、織田信長の後を継いで天下人となった豊臣秀吉に対して蝋燭、麝香、真壺、ルソン壺(呂宋壺)、唐傘、香料などの珍品を献上し、秀吉の保護を得て日本屈指の豪商として活躍しています。
それだけを見ると、当時の日本も多くの珍品を輸入していたことが分かります。
しかし、輸入するだけでは貿易が成り立たないのは今も昔も変わりません。輸入する以上は、輸出するものがあったはずです。
では、日本から輸出していたものは何だったのでしょうか。
■攻撃用モ防御用モアリ!?
実は、当時の日本の最大の輸出品は武器でした。
日本には、優秀な刀や鎧兜をつくる伝統と技術がありました。
それに加えて、当初は西洋から輸入していた鉄砲も種子島時堯などの尽力によってすぐに国産化に成功し、やがて輸出するようになったほどです。

種子島時堯像(Wikipediaより)
「戦国時代の日本で鉄砲を国内生産する技術が発達した」とだけ言われると、それが戦国時代の日本にどのような影響を与えたか……という点にだけ目が行きがちです。
しかし実は、鉄砲は輸出品としても使われていたのです。
豊臣秀吉の時代の1597年に、イタリア人の商人であり旅行者でもあったカルレッチが書き記した手紙にはこう書き記されています。
「(日本には)攻撃用・防御用のありとあらゆる武器があり、この国は世界で最大の武器供給国だと思う」
■盛んだった海外貿易
江戸時代初期に鎖国政策が採用されたのは皆さんご存じの通りですが、実はそれ以前の時代というのは、日本史上、非常に海外貿易が盛んになった時期でもありました。
その盛り上がりぶりといったら、フィリピンだけで三千人の日本人が住み、カンボジアやベトナムなどのアジア一帯に一万人もの日本人「商社マン」がいたとみられているほどです。

タイ・アユタヤの日本人町跡の記念碑。17世紀頃、最盛期には1500人以上の日本人が暮らしていた
日本史を学んでいると、日本という国は歴史的にも海外から影響を受けっぱなしで、反対に日本から海外へ影響を与えたことはほとんど無かったような印象を受けがちです。
しかし、実際にははるか昔から日本は国際貿易圏の一員でもありました。そして、日本の工業品や工芸品は、その頃から海外でも大きな価値を持っていたのです。
参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC,Wikipedia
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