今年2017年は大政奉還150周年の節目。幕末にペリーが来ていろいろあって、徳川慶喜が大政奉還した、というのは授業で習いましたが、詳しい背景は教科書に載っていませんよね。
今回は、今さら聞けない大政奉還を専門用語なしで超簡単に解説します。

■大政奉還のきっかけはあの幕末ヒーロー

大政奉還を一言で表すと「幕府が朝廷に政権を返した」ということです。では、大政奉還案は慶喜が考えたの?というとそうではありません。「大政奉還の提案書」が幕府に提出されたのです。その企画書のきっかけとなった人物こそ、幕末のヒーロー坂本龍馬です。

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山内容堂から慶喜への建白提出のきっかけとなった企画書の名前は「船中八策(せんちゅうはっさく)」。龍馬が京都に向かう船の中で作った八条の案なので、船中八策です。

その内容は、
「今、薩長から幕府に不満が募って武力倒幕したがっている。でも、内戦なんかしてる間に欧米につけこまれて、日本はすぐ植民地化されるぜよ!そのために薩長が爆発する前に幕府は政権を朝廷に返す事。そして身分関係なく世界と渡り合える有能な人材を議会に参加させ、海軍作って国防強化じゃ!」
といったところでしょうか。

龍馬が最も恐れたのは、日本が清のようにイギリスやフランスの植民地にされる事でした。彼の凄さは、世界視点で日本を見ていた事です。


この「船中八策」がきっかけとなって土佐藩から大政奉還のお伺いが立てられ、将軍慶喜からOKがもらえた、というのが大政奉還です。

■大政奉還派と武力倒幕派のタイムアタック

この時期は、土佐藩の「血を流さない大政奉還派」と、薩摩藩や長州藩の「武力倒幕したくてたまらん派」との一刻を争う大レースでした。

[今さら聞けない幕末]どうして徳川慶喜は大政奉還をしたの?きっかけはあの幕末ヒーロー


実は大政奉還が成立した数時間後に、薩長は天皇から「幕府を倒していいよ」というGOサイン=勅許をゲットしました。間一髪で、大政奉還派の大勝利!武力倒幕派が、「これで正々堂々と幕府ぶっ倒せる♪ひゃっほー」と幕府に銃を向けた時、大政奉還が成立したことでターゲットの幕府そのものがなくなってしまい、薩摩や長州はずいぶん悔しがったようです。

つまり大政奉還は、短期間でグローバル・ビジョンな企画書を書いて山内容堂を動かした龍馬と、大きな決断をスピード承認した慶喜が成し遂げた日本史の奇跡でした。

■大政奉還、徳川慶喜の腹の中

なぜ、将軍慶喜はすんなりと政権を手放したのでしょう。実は慶喜はこう考えていました。
「今政権を返上しても朝廷には政治なんかできないし、すぐに徳川家に泣きついてくるだろう。政権を手放しても、徳川家は財産も土地も日本一。結局徳川家が最強だから別にいいか。」
この時は、新しい議会体制になっても徳川家が実質的に君臨できると思っていたから、あっさりと政権を手放したのでした。

歴史ではこのあと、そんな慶喜の読みを出し抜く事件が起こるのですが、それはまた別のお話・・・。

今さら聞けない幕末
  • どうして徳川慶喜は大政奉還をしたの?きっかけはあの幕末ヒーロー
  • で、結局「尊王攘夷」って何?3つの時期に分けて解説

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