「人斬り以蔵」とも呼ばれる彼は、幕末四大人斬りの一人です。
そんな異名に反して、彼が人生の最期に詠んだ句が、あまりにもピュアで切ないのです。
それが、こちら。
「君がため 尽す心は 水の泡 消えにし後は 澄み渡る空」
なんて綺麗な句でしょうか!
人斬りが詠んだ句とはとても思えません。人斬り以蔵にいったい何があったのか。まさか、失恋?!・・・いいえ、違います。実はこの句は、彼の剣術の師匠、武市瑞山に向けて詠んだ句なのです。
武市半平太立像(高知県須崎市)出典元:wikipedia
土佐藩士武市瑞山は以蔵にとっては「全て」と言っていいほどの存在でした。身分が低く学もなかった以蔵に、初めて剣術を教えてくれたのが武市瑞山。武市に拾われたお陰で、以蔵の剣術の才能は開花します。以蔵は生きがいを与えてくれた師匠の武市をよほど慕っていたのでしょう、その後はほとんどどこに行くにも武市に随行しています。
しかしこの武市瑞山、タダモノではありません。超過激派の尊王攘夷志士です。彼は佐幕派の土佐藩の藩論を尊王攘夷で統一するために、土佐勤王党を作り、土佐藩テロリスト集団の親玉になります。そして吉田東洋という藩の重臣を暗殺し、大クーデターに成功。これにより土佐藩は一時的に尊王攘夷論に染まります。
それでも武市の過激行動はまだまだ止まりません。以蔵の剣の腕と忠誠心を利用して、京都で佐幕派の暗殺という汚れ仕事をやらせまくるのです。ピュアな以蔵は師匠に認めてもらいたい一心で、京都でテロを繰り返します。
しかしその活躍も時間の問題でした。なぜなら土佐藩は江戸幕府開闘以来、強固な佐幕派なのです。一時はクーデター成功しますが、1863年の八月十八日の政変で過激尊王攘夷派が京都から一掃されると、形成逆転。土佐でも尊王攘夷派の大弾圧が始まります。
一度捕まると以蔵は誰よりも弱虫で、拷問のたびに泣き喚いたそうです。武市は、メンタルの弱い以蔵が全部白状してしまうのを恐れ、おにぎりに毒をしこんで差し入れし、以蔵を殺そうとしたという説まであります(諸説あり)。しかし以蔵の執念か、死ねずに息を吹き返します。そして、自分が武市瑞山に見捨てられた事に気がついた以蔵は憎しみの塊のようになり、ついに今まで行った暗殺や土佐勤王党の活動などを全て白状してしまいます。
これにより武市瑞山も死罪決定。
殺人鬼の彼が一番最後に殺したのは、皮肉にも彼が人生で誰よりも慕っていた武市瑞山だったのです。
命を預けた師匠に利用され、その師匠も自分の白状のせいで死罪確定という絶望の淵で、以蔵は空っぽの心で空を見上げたのでしょうか。この透き通るような綺麗な句は、そんな状況で詠まれました。以蔵の唯一の信念は、尊王でも攘夷でもなく、武市瑞山という人間だったのだと訴えかけてくる、切ない辞世の句です。

参考文献/ 菊地 明「幕末百人一首」学研新書
岡田以蔵
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