前回の「あんどんが「行灯」という漢字になったのはなぜ?」に続いて、今回も江戸時代と灯りについて紹介します。

外出用から室内用に変わった行灯ですが、現代の私たちが日々慣れているような明るさとはまったく違います。
でも江戸時代の人々にとっては、かなり暗くてもそれが普通だったので、暗くてもなんのその。行灯の下で裁縫をする女性も多かったそう。洋服のように複雑な縫い方ではなく着物は直線縫いが大半なので、その暗さに一度慣れたら、なんとかなったようですね。

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鈴木春信「座敷八景 あんどんの夕照」

行灯には、湯屋や寄席で使われた八間行灯(はちけんあんどん)という大型行灯もありました。これは天井からつるすタイプの行灯で、広い範囲を照らすことができたそう。名前は行灯となっていますが、外見はかなり違ったものといえるでしょう。

ちなみに行灯を数えるときは、「張」「基」「灯(とう)」などの助数詞を使った江戸時代。この中で最も一般的だったのは「張」という数え方です。江戸中心部の長屋は、部屋がかなり狭いので、行灯がひとつあれば十分なほど。つまり、行灯1張ですね。

■庶民の憧れ?の蝋燭(ろうそく)

そして灯りといえば、蝋燭です。今は停電時でも懐中電灯があるので、ほとんど蝋燭の出番はなくなりましたね。
それに対し江戸時代は、蝋燭はとっても高価なもので贅沢品でした。庶民が蝋燭を使うのは持ち歩くときなどが主で、日常的に室内照明に使うのは大名の御殿、料亭や遊廓など限られた場所だったのです。蝋燭を3本立てるだけでも、行灯の約10倍の明るさだったとか。蝋燭の長所は、油を注ぎたす手間がないこと、提灯の中に立てて持ち歩くときも簡単には消えないことなど、扱いやすさも抜群だったのです。

江戸時代と灯り…庶民にとってロウソクは高価で贅沢品だった?


蝋燭とセットで欠かせないものが、提灯でした。一般的だったのは、箱提灯です。たたんで上下の蓋を合わせると中に火袋(火のまわりを覆う紙)がすべて入り箱のようになるのが特徴で、好きな方向に向けられて重宝されていたようです。ほかにも、持つと正面向きになる弓張提灯、歩くとき足元を照らすぶら提灯など様々な提灯がありました。

行灯や蝋燭、提灯などを活用しながら、夜を過ごしていた江戸時代。今の照明の明るさを知ったら、きっと驚くでしょうね。

参考文献:実見江戸の暮らし

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