時代劇などで注目を浴びる機会が多い、幕末の日本。2008年の『篤姫』、2015年の『花燃ゆ』など、大河ドラマで取り上げられることも多くなっています。
2011年の東日本大震災を機に「被災地である東北を支援する内容のドラマを」ということで企画された2013年の大河ドラマ『八重の桜』は、幕末~明治の福島県会津地方を舞台とした作品でした。
損傷した若松城(会津戦争後撮影)
画像出典:Wikipedia_若松城
『八重の桜』では、ヒロインの八重を中心とする女性たちの活躍が注目されました。会津戦争で若松城内の婦女子をまとめた松平照姫も、歴史を影から支えた女性の1人でした。
■松平照姫とはどんな人物?
松平照姫は、天保3(1833)年12月13日に上総飯野藩主・保科正丕と、側室の佐々木民との間に誕生しました。10歳で会津藩主・松平容敬の養女となった後、豊前中津藩主・奥平昌服と結婚しましたが、安政元(1854)年に離婚して江戸の会津藩邸に戻っています。

(画像出典:松平照/Wikipedia)
彼女が会津藩の若松城に入ったのは、鳥羽・伏見の戦いの後のこと。藩主となっていた松平容保の正室の敏姫が1861年に亡くなっていたため、城内で最も身分の高い女性だった照姫が、若松城籠城戦の際に城内の女性たちをまとめ、後方支援に尽力しました。
降伏・開城後は紀州藩邸にお預けとなった後、実家の飯野藩邸に預け替えとなり、1884(明治17年)2月に東京で亡くなっています。享年51歳でした。
照姫は美人で、更に書道・茶道・和歌などの教養にも秀でた女性だったといわれています。現代でも美人で頭も性格も良い女性がなかなか良いご縁に恵まれない例を目にしますが、照姫も理想的な女性だったにもかかわらず、若くして離婚した後は再婚していません。子宝に恵まれなかったとはいえ、夫との夫婦仲は決して悪くはなかったということで、彼女の離婚の理由は謎とされています。
■照姫さまの感動的エピソード
才色兼備だったといわれる照姫には、若松城籠城中の感動的なエピソードが残っています。

照姫率いる城内の女性たちは、負傷者の手当・炊事・消火活動・弾薬の製造などを担当していました。戦いが激しくなり、城内の包帯がなくなると、照姫は自分の高価な着物や帯をほどいて包帯の代わりにするようにと指示したのです。
1868(明治元)年9月22日に城門に掲げられた降伏の白旗も、照姫が女性たちとともに縫ったものといわれています。
戦場となった会津で、幕末という時代に翻弄されながらも気高く強く生きた照姫は、城内の女性たちが「照姫さまのために」とついていきたくなるような、頼れるリーダーでもあったのです。
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