■なんと気まずい!離婚した元夫と職場で再会

『枕草子』の著者として有名な清少納言が皇后定子のもとに出仕するようになったのは、彼女が元夫の橘則光と離婚した後のことでした。2人の離婚の原因は、はっきりとは分かっていません。
しかし宮仕えをするようになった清少納言は、蔵人(くろうど)という職位についていた則光と、宮中で嫌でも顔を合わせることになりました。

3組に1組が離婚していると言われる現代でさえ、この状況を「なんと気まずい!」と思う人は多いでしょう。ところが2人の関係は、私たちが想像する「離婚した元夫婦」とは少し違っていました。

■橘則光ってどんな人?清少納言と宮中では「きょうだい分」に!?

橘則光については、清少納言の元夫で橘氏の氏長者だったということ以外の詳しい経歴は、あまり多くは伝わっていません。

『今昔物語集』には、彼が3人の盗賊に襲われたものの、逆に取り押さえたという武勇伝が語られています。また『金葉和歌集』の第360番目に歌を取り上げられ、歌人としても一目おかれる存在でした。

『枕草子』には、元妻の清少納言が仕事を持って輝いていることを自分のことのように誇りに思っていたり、上司の藤原斉信が清少納言を道長派へ引き抜こうとする動きから、彼女を必死に守ろうとしたりする則光の姿が描かれています。

宮中で再会し再燃?清少納言と元夫の不思議な仲。離婚しても「兄...の画像はこちら >>


清少納言 枕草子絵巻(鎌倉時代)/Wikipedia

離婚後の清少納言と則光は、宮中でお互いを「兄(せうと)」「妹(いもうと)」と呼び合い、「きょうだい分」のような間柄だったといいます。それは本人たちが呼びあっていただけでなく、彼らの同僚たち、更には一条天皇や皇后定子までもが知っていることだったというから驚きです。

そしてなんと!清少納言と則光の仲は、宮中で再会してから再燃したのでは?とも言われているのです。
それは『枕草子』第80段の

「かう語らひ、かたみのうしろ見などする」
(こうして親しく付き合い、お互い助け合っていた)

という記述によるもの。

この時代の「語らふ」とは、男女の深い仲のことでもあったため、そのように考えられたのです。


■2人の関係の終わり

そんなふうに良好な関係が続いていた清少納言と則光でしたが、 皇后定子の兄・伊周の逮捕、定子の出家と中宮職への復帰などの一連の政治的な動乱の中で、最終的には決別を迎えることとなりました。

『枕草子』第80段によれば、少し2人が疎遠になっていたある日、則光からこんな手紙が届いたとのこと。

「便なきことなど侍りとも、なほちぎりきこえし方は忘れ給はで、よそにてはさぞ見給へとなむ思ふ」
(不都合なことなどがありましても、やはり昔の仲は忘れないでください。よそでは今まで通り、あれは元夫で兄貴分の則光だと見ていてください)

つまり、表向きは今まで通り仲の良いきょうだい分のような付き合いをして欲しいが、内々の関係は解消しようということ。

宮中で再会し再燃?清少納言と元夫の不思議な仲。離婚しても「兄」「妹」と呼び合っていた


ちょうどこの時期に、出家によって失脚したと思われていた定子が、中宮復帰の準備段階として「職の御曹司(しきのみぞうし)」と呼ばれる中宮職の事務局の建物に移りました。そのため、 清少納言を道長側に引き抜こうと画策していた則光の上司の藤原斉信に、彼女が明らかに「敵」と認識されてしまい、則光は非常に複雑なやりにくい立場となってしまったのです。

則光のこの手紙を受け取った清少納言は、 彼がいつも「自分のことが好きなら、歌を送って欲しくない。もう縁を切るというときに歌を送ってくれ」と言っていたことを思い出し、手紙の返事を歌で返しました。

しかし則光からの返事はなく、2人の縁はそのまま終わってしまったのでした。

参考文献
  • 日本古典文庫10『枕草子・方丈記・徒然草』/訳:田中澄江・佐藤春夫/発行:河出書房新社
  • 『枕草子のたくらみ』/著:山本淳子/発行:朝日新聞出版

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