江戸時代の旅行事情。今回は宿場について紹介します。


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まさに荒行!江戸時代の旅行では1日40㎞も歩く旅人もいた。江戸時代の旅行事情【1】

なんと江戸時代にもあった旅行積立、そして高級ツアーも。江戸時代の旅行事情【2】

■宿場の成り立ち『運送業始めました』

旅に欠かせないのは宿泊施設です。その役目を担っていた宿場にも様々な事情がありました。宿場と聞けば一般客向けの旅館街というイメージを持たれる方もいるかと思いますが、宿場が誕生した経緯や理由は公的なものでした。

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宿場の主な役割として、公的(幕府や藩)な物資、書簡の運搬や公人に対して宿泊場所の提供しなければならないという義務が課せられており、宿場から隣の宿場へバケツリレーのように荷物を無償で運搬していました。その対価として税の免除や、宿泊施設としての独占経営権が与えられていました。

宿場が経営破綻して潰れてしまった場合、一番困るのは宿場の恩恵を受けている幕府や藩です。宿場は、現代で言うところの郵便局的な役割を果たしていましたので、幕府や藩は『宿場以外では人を泊めてはいけない』という御触れを出して宿場の保護を優先しました。

宿場以外泊めてはいけないというご禁制があっても、副収入になるため隠れて宿を貸す人も少なくなかったようで、旅の途中で何度も民家に泊めて貰ったという旅人が書いた記録も残っています。
有名な人通りの多い街道ならいざ知らず、人通りの少ない街道上では、この法律は機能していなかったようです。


ちなみに東海道53次の”次”は”継ぎ”という意味で、物資や人を次に繋ぐという宿場の役割を表わしています。

■宿泊施設の種類

宿場内の宿泊施設の種類は大きく分けて三通りです。

本陣、脇本陣 本陣は一番高級であり、参勤交代中の大名などの身分の高い偉い人達が優先して宿泊する施設です。
本陣に収容しきれない場合は、少しグレードが落ちる脇本陣を予備の宿泊施設として使用しました。
脇本陣は、公的な義務が発生しない時に限り一般人も宿泊できるようになっており、宿泊費は旅籠と同じくらいでした。

旅籠(はたご) 旅籠は一般的な現代の旅館のような宿泊施設で、一泊二食付き。気になるお値段は、旅が身近になっていた時代1800年頃で200文程。安い所だと150文程です。明治になると2倍、3倍の価格になっていきます。

木貸宿(きちんやど) 木貸宿は一言で言えば、食事無しの安宿です。旅籠の2~3割程の価格で宿泊費を含む薪の代を支払って自分で持ち込んだ米を炊いて自炊します。現代で置き換えれば大部屋雑魚寝のキャンプ場といったところでしょうか。


宿泊客の中に一人旅、浪人、怪しい人物が居る場合は宿役人に申し出をしなければならないという決まりがあり、無断で泊めた場合一人につき1貫文の罰金が課せられました。

■宿場の管理人、問屋(といや)

宿場には問屋場(といやば)という公的事業を担う施設がありました。人足、馬を常備しておき、隣の宿場まで荷物を運ぶという重要な役割を持っていました。

宿場の運送会社 問屋場の親会社はブラック企業!? 江戸時代の旅行事情【3】


旧醒井宿問屋場 Wikipediaより

問屋場の中には問屋という宿場の管理者兼責任者がいました。問屋を頭に、補佐官(年寄)や経理、事務要員(帳付)その他の人材が脇を固めており、このような事実を見ると、宿場は規律ある組織によって運営管理されているため、商家というよりは公的事業を請け負った企業のようなイメージがあります。

請け負うと言っても強制的に無償で公的事業をやらされるため、宿場にとってはかなりの負担になっていたようです。

街道沿いにはこの様な宿場が数キロ置きに存在しており、旅人が野宿をするという事はまずありませんでした。
宿場施設の充実が江戸時代の旅に伴う危険度や難易度など、旅のハードルを下げていたことは間違いありません。

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