■美少年は仏様の化身!口実を作って行うボーイズラブも修行の内?
日本の仏教寺院では、貴族に限らず様々な階層の子供が寺に入って勉学に励み、先生である僧侶のお世話をした見習いの少年を稚児と言いました。この稚児は派手な色の水干を着用しているイメージが強いですが、他にもお化粧や女性的な衣装をまとうなど中性的な存在でもあります。源義経の幼少期を描いた『牛若丸』のお話を思い浮かべて頂ければ、想像しやすいでしょうか。
そんな中性的で可愛らしい姿(今で言うと男の娘)を傍に置いている僧達がたまりません。何とか彼らと関係を持ちたいと強く思い始め、ある方法を思いつきます。それが、稚児灌頂(ちごかんじょう)なる儀式で、それを行った稚児は観世音菩薩と同一の神聖な存在と見做され、僧侶は灌頂した稚児と一夜を共にしました(つまりボーイズラブですね)。
こうした男色の儀式…もとい、稚児灌頂には作法や道具、手順なども決められるなど単なる色恋ではなく、あくまでも仏様と繋がる儀式とされていました。しかし、ここまで徹底していると口実を作ってまで恋をしたかったのかなあ、と考えずにもいられませんね。
■ボーイズラブなら大丈夫…でも心配な坊さん、法会の席でカミングアウト!

平安時代を始めとした中世日本の文学はボーイズラブについての記述が多く、どの作品も楽しく読めてしまうので、迷ってしまうことでしょう。筆者が個人的におススメなのが、『宇治拾遺物語』に記された、平安時代を舞台にした物語です。
源雅俊と言う貴族が法会を開いた時、一生不犯(※1)の僧侶を招いたのですが、彼は鐘を鳴らす役目なのに、それをしようとしません。
「うーむ…“かわつるみ”はどうなのでしょうか?」
と言い出したのです。“かはつるみ”とは、同性間の関係とも、自分で欲望を処理することとも言いますが、今回は前者説を採用します。
それを聞いた皆は大爆笑、どのくらい“かわつるみ”をしたのかと尋ねると、
「おお、昨日も致し申した」
と僧侶は答え、ますます人々が笑い転げている間に逃げてしまった…と言う笑い話なのですが、ボーイズラブ全盛の平安時代とは言え、男色も恋愛でもあることを気にしていた僧侶がいたことが見て取れます
事実、こうした男色の風潮は、地獄へ落ちる罪になると批判されることもありましたが、仏様に救いを求める儀式なのだからと言わんばかりに、多くの僧侶がボーイズラブを謳歌しました。後にこの文化は武士にも受け継がれ、衆道として広まっていきます。
(※1)いっしょうふぼん。異性との交わりをしない戒律
画像:Wikipedia『観音菩薩』『衆道』
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