大相撲2018年名古屋場所は、なんと3横綱が全員休場する中、波乱の優勝争いを御嶽海が制しました。
大関までと違い「陥落」のない横綱は、その代わりに休場や成績不振が続くと「引退勧告」がなされる場合があります。
しかし中には、体力も気力もまだまだあり、十分相撲が取れる「ピーク」の状態のまま引退を決めた横綱も存在しました。
■栃木県出身の近代最強力士は、海を見たことがなかった!
栃木山は、その四股名のとおり栃木県出身の大横綱でした。「近代最強力士」とまで謳われ、現役引退後は、初代若乃花と共に「栃若時代」を築いた元横綱・栃錦の師匠としても知られるようになります。
Wikipedia/栃木山守也
その実力は、明治44(1911)年2月場所の初土俵時から抜きん出ていました。幕下へ昇進するまでに21という連勝記録を残し、黒星はわずか3しかなかったという、あの雷電為右衛門もビックリの活躍ぶりでした。
幕内へ昇進してからも、彼が2度以上対戦した力士で通算で負け越したのは太刀山と2代目朝潮の2人だけ。更に新三役(小結)昇進は大正5(1916)年5月場所ですから、いかにスピード出世したかが伺えます。
一方で栃木山は「海なし県」である栃木出身のため、入門するまで海を見たことがありませんでした。そのため、上京して汽車の窓から初めて見た東京湾を前に「でっかい川だなあ」と発言し、後々まで兄弟子にネタにされたという、なんだか微笑ましいエピソードも残っています。
■デマの発端にもなった!?大横綱、突然の引退
ところが順風満帆に見えた栃木山は、3場所連続優勝を果たした直後の大正14(1925)年5月場所前に、なんと突然引退を表明したのでした。引退の理由については
○横綱として3度も連続優勝したにもかかわらず、番付が「張出横綱」のままだったことに不満があった
○髪が薄くなったことを気にした
など、様々な噂が流れました。
春日野親方となってから参加した第1回全日本力士選士権で、親方でありながら現役力士たちを抑えて優勝したことからも分かるように、この時彼はまだ十二分に横綱としての力を残していたのです。「あと5年は横綱を務められる」という声が上がるほどだった彼の引退に、周囲が大反対したことは言うまでもありません。
引退の真相について、当の栃木山本人は「力が衰えてから辞めるのは本意ではない。今が華だと思うから」と語り、この発言がまた賛否両論を呼びました。

「弱くなっていく姿を見せず、ピークのまま引退すること」は、彼なりの「横綱の引き際の美学」だったのかもしれません。しかし皮肉なことに、現在も一部でまことしやかに囁かれる「力士は禿げて髷が結えなくなったら引退しなければならない」という噂の発端の1つとなってしまったことも、どうやら間違いないようですね。
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