■即興劇の「俄(にわか)」

俄とは、江戸時代から明治期にかけて流行った即興の芝居です。別の表記で「仁輪加、仁和歌、二和加」とあるものも。
この俄は「俄狂言(にわかきょうげん)」の略で、江戸時代に路上で素人が演じた即興の芝居を指します。歌舞伎の演目を再現したものもありました。

地方によって、「大阪俄」「博多俄」などがあります。大阪俄はこっけいさを売りとする寸劇で、博多俄は盆踊りから派生したとされる寸劇であり、独特のお面をつけて行われました。博多のにわか、というと思い浮かべる方も多いでしょう、あの博多名物である「二○加煎餅(にわかせんぺい)」の面はここからきているのです。

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豊原国周「新吉原俄獅子之図」

■吉原三大行事のひとつ

さて、各地で流行したとされる俄ですが、江戸・吉原でも流行しました。吉原は年中行事が多いことで知られていますが、そのなかでもこの俄と春の夜桜、玉菊灯籠(たまぎくとうろう)は吉原三大行事として有名です。

吉原の8月の行事には以前紹介した、女郎が白無垢姿で過ごす「八朔(はっさく)」という行事もあります。

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芸者が男装?江戸時代に吉原遊郭で行われていた8月のイベント「吉原俄(にわか)」とは?


吉原俄は享保年間(1716~1736年ごろ)に始まったとされており、明治時代に発表された樋口一葉の「たけくらべ」にもそのことが触れられているので、かなり長く続いた行事であることがわかります。

吉原俄は8月の行事であり、仲之町通りは俄のパレードで大変にぎわったと言われています。この俄は8月中旬ごろから晴天30日続いたとされており、つまり雨が降った日を明けてきっちり30日間行われました。雨が降ればその分だけ9月にずれ込んだのです。


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歌川広重「新吉原仁和歌ノ図」

内容はというと、これもやはり素人が行いました。吉原を訪れるいわゆる太鼓持ちの幇間(ほうかん)や、芸者などが踊ったり芝居をしたり、今でいうコスプレ祭りのような感じで盛り上がったようです。

■芸者の男装で大盛り上がり

見どころのひとつだったのが、芸者の男装です。

吉原の芸者は鳶や火消しの姿に扮したり、歌舞伎の助六に扮して芝居を演じたりと、仲之町の大通りのパレードを大いに盛り上げたようです。一部の芸者が男装で芝居をしたところ、「素敵!」と人気を博し、ほかの芸者衆も真似をするようになってどんどん広まっていったのだとか。

旧暦なのでちょっとずれますが、これはちょうどお盆を過ぎたころに行われていた行事でした。

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