歌川国貞「踊形容江戸絵栄」
とはいえ、人気役者になるのは至難の業。多くの役者がいる中、ひときわ目立つ存在になるのは大変ですよね。演出がない分、自分で工夫することも求められたのです。あとは、元々備わっているオーラなどもあったのでしょうか。ファンも多い人気役者は、かなり稼いでいたようです。
特に、有名だったのが、美しい遊女を演じる傾城(けいせい)事を得意とする女形の芳沢あやめ。一年で千両稼いでいたというから、すごいですよね!ほかにも、千両以上の給金の役者が多数。

歌川豊国「卯の花月」
役者の収入は、座元の給金以外にもあります。大名屋敷に呼ばれたり、贔屓の旦那から料理屋のお座敷に呼ばれるほか、副業で店を経営する人も…。給金以外にも、様々な収入があったことがわかります。
さらに人気が高まるきっかけになったのが、錦絵です。
多色刷りの大判錦絵のことで、今でいうスターのプロマイドのようなものですね。お目当ての役者の錦絵をここぞとばかり購入し、いっそう熱狂的なファンになるのです。また、江戸中期からは役者の特徴を強調する似顔絵も出るようになったそう。
そして、彼らはファッションリーダーでもあり、2代目・瀬川菊之丞にちなんだ色「路考茶」は大人気!色だけでなく、柄にも役者にちなんだものがありました。例えば、3代目・尾上菊五郎が考案した「菊五郎縞(格子)」など。

三代目 歌川豐國「古今俳優似顏大全」より
役者の家紋をデザインした団扇や本も販売されたというから、江戸全体で歌舞伎熱が高まっていました。当時、人気者の死を死絵(しにえ)で悼んでいたのですが、八代・団十郎が自殺したときは百種類以上の死絵があったというから、。
ところが、いつまでも給金がうなぎ上り…にはなりません。松平定信が中心になって行った寛政の改革によって、役者の給金値下げの法令が出てしまったのです。この改革は、とにかく何事も緊縮!だったので、華やかで目立つ歌舞伎役者たちは、いやでも目をつけられてしまったのでしょう。
千両稼げなくなっても、江戸の娯楽トップが歌舞伎であることに変わりありません。頻繁に火事が起きても、歌舞伎熱はそう簡単には消えなかったようですね。
参考文献:大江戸ものしり図鑑
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