駅のホームや歩道などで見かける黄色のボコボコがついたプレート。あれは「点字ブロック」といって、目の不自由な方が一人でも外を歩けるように取り付けられたものです。


このブロックには、まるいポチポチのついた「点状ブロック」と、突起が平行線になっている「誘導ブロック」の2種類があります。前者は注意を喚起するためのブロック、後者は進行方向を示すためのもので、二つを相互に組み合わせて使われます。

■友だちの為、自分のお金を使って開発した点字ブロック

点字ブロックは、岡山県で旅館を経営する三宅精一(みやけせいいち)が目の病気を患っている友だちのために自分のお金を使って開発したのが始まりだといわれています。

日本人の偉大な発明「点字ブロック」は友達の為に自分のお金を使...の画像はこちら >>


点字ブロックの父・三宅精一

三宅の実家はもともと果物屋さんでした。彼は、三男四女の長男だったのですが、17歳のとき父親が急逝、父親に代わって、一家8人の生活が支えなければなりませんでした。

その後、終戦を迎えますが、当時は物資が極端に窮乏した時代。混乱の最中、三宅は果物屋を廃業、岡山市に移り旅館を始めます。そして、少しでも家計の助けになればと、旅館業のかたわらで様々な発明を手掛けました。

点字ブロックはそのような背景の中で生まれたのです。

世界で一番最初に点字ブロックが取り付けられたのは1967年のこと。三宅が暮らす町にある盲学校近くの交差点に取りつけられました。

■世界初の点字ブロックは当初誰からも理解してもらえず

当時は、誰からも理解してもらえませんでした。
三宅は、盲人の保護のためにと、全国に約4000の市町村に、この「点字ブロック」寄贈していきました。

しかし、注文はひとつも来ませんでした。問い合わせの電話さえありませんでした。

そんな点字ブロックが転機を迎えたのは1968年9月のこと。

栃木県の宇都宮市が、点字ブロックの敷設を目的に、ブロック250枚を購入したのです。行政が初めて点字ブロックを認めてくれた瞬間でした。

それから4年後の1973年、厚生省が障害者福祉モデル都市事業を制定し、東京で大々的に「点字ブロック」の敷設を決めたことにより、点字ブロックの需要が一気に増しました。

当初、規格がバラバラだった点字ブロックも2001年にはJIS規格によって統一されました。そして現在、全国の歩道や駅のホーム、公共施設には、必ずしも点字ブロックが導入されています。

三宅の発明した点字ブロックは、いまや世界中に普及し、視覚障害者の安全を守っています。

一番最初に点字ブロックが設置された、岡山県岡山市中区の原尾島交差点。現在は「点字ブロック発祥の地」として記念碑が建てられています。


日本人の偉大な発明「点字ブロック」は友達の為に自分のお金を使って世界で初めて開発された


日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

編集部おすすめ