年齢は、15、16歳から40歳くらいが多かったそう。しかし、中には70歳くらいの老婆もいたとか。どんなに暗い時間帯に出没するとしても、さすがに皺を白粉で塗りつぶす必要がありました。また白髪に黒い油を塗っているので、髪がまだらになっていることも。ちなみに夜鷹のことを、京都では辻君(つじきみ)、大坂では惣嫁(そうか)と呼んでいたそう。
雇い契約をした夜鷹は、抱え主にかなり吸い上げられました。ヤクザに守ってもらうこともあり、そうなると上納金が発生し、かなり稼がねばなりません。雨の日だって臨時休業します。多くの客をとろうと、必死でした。
ダントツで人気だった夜鷹は、「ひととせおかん」です。
客の数が多かったのは確かなのでしょう。客のあしらいやテクニックがきっと良かったのですね。
多いときでは、江戸に4000人もいたといわれる夜鷹。そして、夜鷹とセットになっているのが二八蕎麦です。夜鷹が出没するところに二八蕎麦の屋台あり。客だけでなく、夜鷹自身も二八蕎麦を食べていました。
夜鷹の仕事は、とってもハード。一晩でたくさんのお客さんを相手にするとなると、しっかり食べないと体がもちません。せっかく稼いでも蕎麦を何杯か食べたら、ほとんども儲けはでません。
夜鷹の相場は、24文。
やはり、夜に路上で性を売るというのは、危険なこと。それでも下層社会で生きる女性たちにとっては、生きていくために夜鷹になるしかなかったのです。
参考文献:図解 性の日本史
夜鷹
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