最後の「ぬぁははははは!」というエキセントリックな笑い声が鮮烈な印象を残しました。番組公式インスタグラムによると、あのシーンが大山のクランクアップだった模様。
NHK大河ドラマ「西郷どん」公式インスタグラムより
その後どうなったのか気になりすぎる!というわけで、今回は大山綱良の投獄後と最期をご紹介します。
■そもそもなぜ投獄されたのか
まず軽くおさらいです。初代鹿児島県令(今でいう県知事)に就いた大山綱良はなぜ投獄されたのか。それは、政府の反逆者となって西南戦争に征く幼なじみの西郷のために、官金を軍資金として出したからです。
この人は本当に西郷が大好きなのです。大好きすぎて、今の県知事がやったらアウトすぎる行動西郷のためにをどんどんやっちゃうのです。まず、西郷が政府を辞めて鹿児島に戻り私学校を設立した時にかなりの援助を県から出しました。これももちろん大山の判断です。

「私学校跡」Wikipediaより
しかもその私学校出身者を贔屓してどんどん県官に取り立てました。
その時はまだ逮捕には至りませんでしたが、西南戦争の軍資金を出した事は立派な国家への反逆です。
■潔い最期
西南戦争で西郷軍が敗れた後、時を待たずして大山の斬首が決まります。斬首の地が長崎に定められ、大山の身柄は東京から艦隊に乗って長崎に移される事に。その時の逸話が後の世に残っています。その話によると、大山が今から艦隊に乗ろうと移動している時に知り合いにばったり遭遇。
「御上京なさるのですか」
と聞かれ、大山は飄々とした態度で爽やかに微笑して
「ハイ、長崎まで斬られにゆきます」・・・
と答えたのだそう。西郷のために捨て身で資金援助をし、その嫌疑が元薩摩藩主・島津久光にかからないよう、1人で全ての罪は自分のした事であると言い貫き、長崎で斬首。
大山綱良、享年51歳。

大山綱良 Wikipediaより
西郷の死の裏でひっそりと散っていった、あまりにも潔い最期でした。
大河ドラマ 「西郷どん」(@nhk_segodon)
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