少し不謹慎な話になりますが、溺死者などの水に浮いた水死体はいったん水底に沈み腐敗が始まるとガスを発生し、組織が水を吸ってぶよぶよになり、体が膨れ上がって真っ白になるといわれています。

我々日本人は、このような水死体のことを「土左衛門」と呼びますが、実は、この土左衛門とは江戸時代に実在した相撲の力士の名前。
その名を享保年間の力士(1716~1736)「成瀬川土左衛門」。

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大日本大相撲勇力関取鏡

成瀬川は、陸奥の国(現在の宮城県加美郡加美町あたり)出身の力士とされており、水死体は水中で腐敗して体内にガスがたまるため、体が膨れあがりますが、山東京伝が著した『近世奇跡考』巻之一には、

「案(あんず)るに江戸の方言に 溺死の者を土左衞門と云(いう)は成瀨川肥大の者ゆゑに水死して渾身暴皮(こんしんぼうひ)ふとりたるを土左衞門の如しと戲(たわむ)ゐひしがつひに方言となりしと云」

とあり、水死体の腐敗が進みガスがたまって膨れ上がった姿が成瀬川に似ていたために「土左衛門」とよばれるようになったそうです。

水死体の呼び方にもなった成瀬川土座衛門。生前の成瀬川は、大変な肥満体だったそうですが、豪快な取り口が持ち味の人気力士だったそうです。

ちなみにこの「土左衛門」という呼び名、水死体だけではなく太った人にもあだ名として用いられていたらしく、河竹黙阿弥によって脚本が書かれ、1860(安政7)年に初演がなされた『三人吉三廓初買』という歌舞伎には、土左衛門伝吉という太った登場人物がでてきます。

1748(延享5)年6月6日(1748年)に病を発症し、水辺ではなく布団の上で亡くなったそうです。墓は江戸深川の霊巌寺にあり、現在でも相撲や歌舞伎関係者によって参拝されています。

土左衛門…水死体の隠語になった、江戸時代に実在した相撲力士とは?


霊厳寺(wikipediaより)

霊巌寺
東京都江東区白河1-3-32
東京メトロ半蔵門線「清澄白河駅」から徒歩3分

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