日本のみならず、今は欧米圏など世界中で実践されている「座禅」。

実は「座禅」を最初に日本に伝えたのは明菴(みょうあん)栄西(えいさい)という僧侶でした。
「臨済宗」は、鎌倉時代から室町時代の武士の世の中に新しく登場した仏教の教えのひとつです。

この流派では座禅によって自分自身を鍛えて悟りを目指す禅宗の一つで、そのストイックさが武士階級の支持を集めました。

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栄西は最初から禅僧だったとおもわれがちですが、実は比叡山で修行を積んだ天台宗の密教僧だったのです。

栄西は、朝廷や幕府からは国家安寧や無病息災や雨降らしなどの祈祷の依頼が絶えないほどの優秀な密教僧だったようで、元々彼が興した流派ももともとは密教から派生したものでした。その後、座禅が一宗派として組織化されたのは、彼の弟子の時代になってからです。

日本に座禅をもたらした僧侶「栄西」は実は天台宗の密教僧だった


日本に「座禅」の思想をもたらした明菴栄西

そもそも栄西が修行の中に座禅を取り入れたのは、当時、腐敗して政治の道具となってしまった仏教勢力を立て直すためでした。しかし、彼の生きた時代では既存の仏教勢力の力が強く、なかなか大っぴらに新しいものを取り入れることができませんでした。

そこで、彼は鎌倉で密教儀式を行う傍ら、禅による仏教思想の再興を狙っていたのです。

栄西は、激しく相手の宗派を攻撃し、対立しあうという選択をせず、まずは同時代の社会に受け入れられるような形をとりながら、徐々に新しい価値観を浸透させていったのです。

栄西が日本にもたらした座禅は、その後、明全、道元らによって受け継がれてゆき、やがて独自の宗派として根付いていったのです。

また栄西がもたらしたのは座禅だけではありません。奈良時代以降、日本では廃れていた「お茶」と「喫茶」のブームにも再び火をつけました。


『吾妻鏡』には、深酒に悩んでいた鎌倉幕府二代将軍・源実朝に、自身の著である『喫茶養生記』とともに、良薬として茶を献上した旨が記録されています

このようにして鎌倉時代には、お茶と喫茶は禅宗寺院とともに浸透していくようになったのです。

座禅にせよお茶にせよ、当時、比叡山にこもって学問修行に明け暮れてばかりいた仏教から考えると、現実的でより実践的なものだったのかもしれませんね。

栄西が日本にもたらしたものは、日本文化のワン・コンテンツとして、今も世界中の人たちに何らかの形で影響を与え続けているのです。

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