初詣時の橿原神宮。賽銭箱のところにネットがかかっている
日本人はどうしてお賽銭を投げ入れるのでしょうか。神仏に対して失礼に当たらないのでしょうか。今回は「お賽銭とは何か」ということを改めて考えながら、お賽銭を神仏に投げ入れる日本人の行動について考えてみたいと思います。
■お賽銭は神様から受けた益に対しての感謝
そもそも「お賽銭」の「賽」は、神様から受けた益に対して感謝してまつることを意味しています。「まつる」とは神様のことをもてなす、接待する程度に思っていればよいでしょう。この「賽」、元々は、金銭ではなく幣帛・米などを供えていました。
中世の頃になると、貨幣経済と寺社参詣が庶民にまで浸透し始めたこともあり、次第にお金に変化していったと考えられています。
また、お寺のお賽銭には、「お布施」の意味があります。「お布施」は、仏道修行の一つで、それを行うことにより自分の欲を捨てるということにつながります。
■他の国でもお賽銭に似た行為はある
日本以外の他の国でもお賽銭のような行為は見られます。
例えば、中国、香港、台湾といった中華圏。
また、韓国の寺院では、「福田函(佛錢函)」と呼ばれる賽銭箱が置かれていることがあるそうです。これは郵便ポストのように箱の横から入れるものなのだそうですが、こちらにも日本のように「仏様に捧げる」といった発想はないようです。
ちなみにキリスト教が中心の欧米圏では、教会への「寄付」(donation)という形でお金を集めています。日曜礼拝などに行くと、よく讃美歌が流れながら帽子などがまわってきますが、そこにお金をいれるシステムになっています。
このように見ていくと、お賽銭を「神様に捧げる」ことや「投げ入れる」ことは、どうやら日本独自に発達した概念のようですね。
では、なぜ日本人はお賽銭を神仏に向かって投げるのでしょうか。神仏に対して失礼に当たらないのでしょうか?
民俗学研究者である新谷尚紀氏によれば、お金には貨幣としての経済的意味と経済外的意味があり、お金が人の身代わりとして「ケガレ」を引き受ける吸引装置としての役割を担っていたそうです。そして、ケガレの吸引装置としてケガレてしまったもの(貨幣)を投げ捨てることで、投げた本人は祓(はら)え清められ、きれいな心身で神仏の前に立つことができるとのこと。
ちなみに新谷氏によると、このときに投げ入れるお賽銭の量(高いか安いか)は関係ないとのこと。
参拝をする前にケガレタお金を投げ入れることによって、きれいな心身で神様や仏様と向き合うことができるようになる、ということですね。
ただ、神社本庁の公式サイトには、
お賽銭箱にお金を投げ入れるところをよく見かけますが、お供物を投げてお供えすることには、土地の神様に対するお供えや、祓いの意味があるともいわれています。自らの真心の表現としてお供えすることなので、箱に投げ入れる際には丁重な動作を心掛けたいものです。とあり、お賽銭を投げること自体には問題はないようですが、気持ちを込めて丁寧に入れることが大切とされています。
参考・引用
- 新谷 尚紀『なぜ日本人は賽銭を投げるのか―民俗信仰を読み解く』 (文春新書)
- 「お賽銭について」神社本庁公式Webサイト
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan