■1000日も穀物絶ち!

即身成仏。

聞いたことがある人もいると思いますが、生きながら入滅し、仏になることを目指す究極の修行です。
誤解している方もいるかもしれませんが、死んだ後に内蔵を取り出し、防腐加工をするミイラとはまるで違います。

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即身成仏になる過程は大変過酷で壮絶です。

まず、体づくりをするために米、大麦、小麦、小豆、大豆の五穀を1000日間断ちます。それが終わると山を降り托鉢に回ります。托鉢中にもらったお布施や食料は、「布施の行」として貧しい人たちに配ります。

喉から手が出るほど飢えているはずなのに、それを手放す峻烈な信仰の力には頭が下がります。

更に五穀に加え更に粟(あわ)、稗(ひえ)、蕎麦、とうもろこし、きびを加えた十穀を1000日間絶ちます。

会わせると二千日。約五年半!

ここに至るまでに、体の弱い人は蛋白質不足で死んでしまうのではないでしょうか。いえ、それよりも先に心が挫けてしまう僧も多いのでは。

この十穀絶ちをこえると「木食行」に入ります。口にできるのは木の実、木の皮、木の根、山菜、きのこ、筍など。
もはや生きていける気がしません。僧侶はこの時点で皮と骨だけになっているそうです。

■いよいよ土の中へ「土中入定」

いよいよ土の中に入ることを「土中入定(どちゅうにゅうじょう)」と言います。

その前に準備として、内臓が腐敗したり虫が湧くのを避けるため、漆の樹液を飲みます。勿論、漆は人体には「毒」です。それを飲むのだからもう、支えているのは精神力だけといえるでしょう。

そして地下3メートルぐらいのところに作った石室に入ります。石室の周囲には湿気を防ぐために木炭が敷き詰めてあります。

石室のなかには、座棺という木の箱があり、僧侶はそのなかで坐禅をします。僧侶は中に入り、入滅するまで鈴を鳴らしながら読経するのです。

それだけでは窒息してしまうので、石室には大小の竹筒が通してあり、太い方からは弟子たちが水を送ります。また竹筒には鈴が通してあり、毎日決まった時間に弟子が鈴を鳴らし生存を確認します。
中の僧侶からの返戻の鈴が聞こえなくなると、弟子たちは成仏したことを知ります。

弟子たちは竹筒を抜いて石室を密閉します。御仏を掘り出すのは、それから1000日後。
こんなに過酷な修行をしたにも関わらず、掘り起こした時に人間の形状が保たれた仏だけが即身仏として祀られ、朽ち果てていた場合は無縁仏として供養されてしまうのです。

しかしどのような仏であれ、人々を救う気持ちがあったことには変わりません。即身仏を前にすると、その神々しさに畏怖に打たれるそうです。

■山形県で伝説の真如海上人

究極の信仰の形。生きながら入滅し「即身成仏」になるための過酷な修行とは?


出羽三山の一部山門

実は山形県で即身仏を安置している寺が少なくありません。山形県には出羽三山という山を擁しています。日本では古来から神道に通じる山岳信仰という自然崇拝があり、それが密教(天台宗・真言宗)で行われていた山中での修行と結びつき「修験道」という新たな独自の信仰が成立しました。

即身成仏は密教の教義なので、山形に多いというわけなのです。

究極の信仰の形。生きながら入滅し「即身成仏」になるための過酷な修行とは?


真言宗の開祖空海(Wikipediaより)

全国邸に有名なの即身仏は「弘法大師空海」ですが、山形県では「真如海上人」という方の霊験あらかたぶりが評判です。

真如海上人は、どんな人だったのでしょうか。
山形県の朝日村の出身で、山から伐採した木をソリでおろす仕事をしていたそうです。しかし事故で人を殺してしまい、弔いのために出羽湯殿山の大日坊で行者に。

天明元年(1782年)から1000日の木食行を行い、天明3年に96歳で土中入定。
当時おそろしいほどの長寿で老齢であるにも関わらず、土中入定する前に更に体から不純物を出すため、塩と水だけを摂りながら47日間断食したといいます。

この時期は「天明の大飢饉」で、東北地方の農村部を中心に数万から数十万人が餓死したといわれた年でもあります。

それゆえ、上人の心に人々を助けなければという強い思いが芽生えたのだと思います。

山形県で代表的なる即身仏 ①海向寺
・忠海上人・・・入寂1755年/58歳
・圓明海上人・・・入寂1822年/55歳

②南岳寺
・鉄竜海上人・・・入寂1878年/62歳

③本明寺
本明海上人・・・入寂1683年/61歳

④注連寺
・鉄門海上人・・・入寂1829年/62歳

⑤湯殿山総本寺
・真如海上人・・・入寂1783年/96歳

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