なんと女性専用車両も禁煙車両もトイレも完備!時代の先を行っていた明治時代の蒸気機関車
明治時代の水上バス?軍艦として活躍した蒸気船も明治に入り「一銭蒸気」として庶民の足に
明治時代を代表する交通機関で忘れてはいけないのが、人力車と馬車。
■馬車の登場
『東京日本橋馬車道通行図著者』歌川芳虎 日本で馬車が登場したのは明治時代に入ってからです。それまでは動物が引く車といえば牛車でした。馬が使われなかった理由は諸説ありますが、馬は牛に比べると高価だったことが挙げられます。
幕末に開港した横浜の外国人居留地では、東京よりも先に道路の整備が進められました。横浜には馬車道という地名がありますが、これは横浜港と居留地を結ぶ道路として開通し、多くの外国人が馬車で通っていたことに由来しています。
東京では明治2年(1869)に乗合馬車会社が設立され、東京と横浜間で直通運行を開始しました。6人乗りの車を2頭の馬で引き、東京~横浜間は約4時間でした。
■鉄道馬車の登場

『鉄道馬車往復京橋煉瓦造ヨリ竹河岸図』歌川広重 明治5年(1872)には東京内でも運行が開始。より乗客数を増やすために3頭の馬で2階建ての車を引く馬車も登場しました。しかしこれはカーブで曲がれず、転倒する事故が起きたことで廃止されました。
そもそも、当時の東京の道は横浜のように舗装されていなかったため、不安定で車が走るには向いていませんでした。
■車夫の嫌がらせ。人力車vs馬車

楊洲周延『上野ステイーシヨヲ繁栄ノ図』 ここで黙っていないのが人力車夫でした。運賃が高く、多くても2人しか乗せることができない人力車に対し、馬車は運賃が安く、多くの人を乗せることができます。
馬車や鉄道馬車の登場により、人力車の利用者は激減。失業してしまう車夫が多くいました。鉄道馬車に客を奪われた一部の人力車夫は、馬車の中に人糞を投げ入れたり、鉄道に石を詰めて脱輪させるなどの妨害を行っています。
人力車が脅威に感じていた鉄道馬車ですが、運行の増加による接触事故や道路の破損、さらには馬の糞尿などの問題を抱えていました。長年東京市民の足として活躍した鉄道馬車でしたが、そうした問題を抱えていたため、路面電車の登場により、東京から姿を消しました。
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