誰でも一度は聞いたことがあろうこのフレーズ、ご存じ福沢諭吉『学問のすすめ』のプロローグです。
天、つまり神様は上下の隔てなく人類を創造された、つまり人類はみな平等である、という意味になりますが、そこからなぜ「勉強しなさい」というメッセージにつながるのか、疑問に思ったことはありませんか?
もしも人類がみんな平等なら、勉強しようがしまいが待遇や幸福度は同じ……だとすれば、つまり「勉強する労力ぶんだけ損」とも言えます(ごくまれに学問そのものが純粋に楽しい、という奇特な方もいますが……)。
若かりし頃の福沢諭吉。Wikipediaより。
なぜ福沢諭吉は学問を勧める本で人類平等のフレーズに言及したのか?学校の授業では教わらなかったその真意について、紹介したいと思います。
■福沢諭吉のメッセージ
言うまでもなく、『学問のすすめ』は「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」では終わりません。
少しだけ、その続きを引用してみましょう。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。……この「~と言えり」というフレーズは「~と言われている」という意味になりますが、少し察しのよい方だと「このあと、これを否定する展開になるかも知れない」と勘づかれるかも知れません。
※『学問のすすめ』初編より。
ご名答。その後の展開を、ごくざっくりと噛み砕いて紹介していきます。
【意訳】
もし人類が本当に平等であれば、誰もが自由に満ち足りて幸福な人生を謳歌している筈だ……しかし、現実の世界はそうではなく、賢愚・貧富・貴賤の格差が雲泥のごとく存在している。
なぜならば……賢い者は努力して学んだから賢く、そうでない者は愚かなまま。よく学んだ者は難しい仕事が出来るから高い身分と収入を得て、学ばない者は簡単な仕事しかできないから身分も収入も低く貧しいまま……こうして格差が生じ、次第に広がっていったのだ。
ことわざに「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり」と言うように、富も身分も生まれてからの努力によって得られるのである……(以下略)……。

狹川半水『画本商売往来絵字引』より、四職之図(士農工商)。江戸時代
その努力とは「学問」に他ならず、だから福沢諭吉は「豊かな暮らしがしたければ、学問に励みなさい」と子供たちにメッセージを伝えるべく『学問のすすめ』を書いたのでした。
人類は決して平等じゃありませんが、それを「不公平だ」と拗ねるのか、あるいは「自分にも可能性がある」と努力するのか。その違いこそ、人生における大きな差になっていくのです。
■まとめ
武士の世が終わって身分制度がひとまず廃止され、能力があれば様々な可能性が開かれるようになった明治時代。
誰もが豊かに暮らせる新しい国づくりを目指して闘い続けてきた志士たちにとって、子供たちに学問で身を立てられる希望を託せるのは、この上ない喜びだったことでしょう。

よく学び、よく遊べ。文部省『小学入門』明治七1874年より。
誰もが学べる、豊かな国。
その尊さを噛みしめ、その礎を築いて下さった先人たちに感謝しながら、一生涯にわたって学び続けていきたいものです。
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