写真上段左から、岡田さんの次男・孝さん、スタッフ・小林幸恵さん、同・山田みよ子さん、同・保科梨絵さん、岡田さん、入居者・キクエさん、岡田さんの姪・佐々木由希さん、スタッフ・赤荻鉄夫さん、岡田さんの長男・晃さん。下段は全員が入居者。

左から、クニオさん、セチコさん、フミちゃん、マルちゃん、ヨウコさん、ノブコさん、カズコさん ※撮影のため、マスクを外しています

「セチコさーん、ご飯ですよー」

ある日のお昼時のこと。岡田美智子さん(69)は高齢女性の耳元に顔を寄せ、しゃがれた声を張り上げるようにして語りかけていた。

ここは、茨城県つくば市の介護型サービス付き高齢者向け住宅「ぽらりす」。介護福祉士の岡田さんは、この施設の代表である。

岡田さんはスプーンで少量ずつ、昼食を彼女の口に運んでいく。

「セチコさんは87歳。

でも、年よか若く見えるでしょ。ここに入居した6年半前は、頭もしっかりしてたんだけど、いまは認知症が進んじゃったのね。それに、随分前からのみ込みが悪くなって。ごはんは、こうしてペースト状にしたものを食べてもらってます」

半分ほど食べたところで、セチコさんが「いらない」と呟いた。

「もう、そんなこと言わずに、もっと食べたらいいじゃないのよ。私、巳年だからしつこいんだぁ。

いらないなんて言いながら、口元に持っていったら食べるんじゃないの……、ほうら、口が開いた。あなた、『いらない』って言ったの、もう忘れてるでしょうよ(笑)」

セチコさんの食事介助が一段落すると、岡田さんはそのまま、入居者たちが食卓を囲む食堂に。

「もう、ごちそうさんでいいの? もう少し食べて。そんな痩せっぽちじゃダメでしょうよ」

箸が止まっていた女性入居者・マルちゃん(86)に、早速声をかける岡田さん。次いで現在、唯一の男性入居者であるクニオさん(71)のそばに立ち、顔をのぞき込むようにして話しかけた。

「うん、上手だな。

今日は上手に食べられてますね」

クニオさんは「えへへ」と照れ笑い。そのやりとりに女性入居者・キクエさん(86)が口を挟む。
「あんまりいい女見っと、興奮しちゃって、またこぼしちまうぞ」

彼女の言葉に岡田さん、相好を崩し、おどけて見せる。

「あら、ごめんなさいね~。見えないように後ろに立つわね~」

開業以来の住人で、ぽらりすの生き字引的存在というキクエさん。岡田さんが笑いながら補足した。

「だーから、この人、なにかっつうと、まるでここの看板背負ってるような顔すんだよぉ(笑)」

今度は最高齢のフミちゃん(94)が「ごちそうさま」と声を上げた。すぐさま、岡田さんが応じる。

「はーい、じゃ、目薬しまーす。でもよ、フミちゃん、目薬したこと忘れんでねえかんな。すぅぐ『まだです』なんて言うんだから(笑)」

■“縛り”が不要なのは、岡田さんが24時間365日、ここで入居者を見守っているから

2004年に開業した「ぽらりす」。入居した人たち皆が皆、「ここで最期を迎えたい」と話し、地域の医療従事者たちも「理想的なついのすみか」と口をそろえる。

その理由は、ルールやマニュアルで入居者を縛り付けない家族的な運営にある。昨今の施設では当たり前のように見受けられる各部屋の扉をロックする電子錠もない。岡田さんが作り上げた、いまどき珍しい“ゆる~い”施設は海外メディアが取材に訪れるほど、国内外から注目を集めている。

ここで記者は、先ほどから気になっていたことについて聞いた。

「このベッドは、なんのため?」

食堂の中、食卓のすぐ隣にベッドが1つ、置かれているのだ。

すると岡田さん、ベッドに腰かけ、マットレスをポンとたたいた。

「なんのためって(笑)。ここで私が寝てんだよー。ここならさ、夜中に

ナースコールがピンポン鳴っても、ヒョイと顔上げれば、廊下が全部見えるじゃん。不穏になった誰かがウロウロし始めたときも、すぐにわかるでしょうよ」

そう、ぽらりすに“縛り”が不要なのは、彼女が24時間365日、ここで入居者を見守っているから。

「夜中、オムツ交換に回るでしょ。寝てんのか、死んでんのかってドキッとするとき、あっからね」

こう言って岡田さんは、また豪快に「ガハハハ」と笑うのだった。

「はい、血圧測るからね。気持ちをゆっくりしてよー」

取材2日目の朝。岡田さんはヨウコさん(91)に腕帯を巻きながら、リラックスさせようと明るい調子で声をかけ続けている。

「あれ? 取材の人がいて興奮してるん? ちょっと高いな。もう一回測りましょう。深呼吸してごらん。ここらの空気、み~んな吸っちゃっていいから(笑)」

ヨウコさんが入居したのは5年前。それから間もなくして、彼女は救急車で病院に担ぎ込まれたことがあった。

「この人はぜんそく持ちで、そのときは酸素飽和度が70台に落ちちゃったんだよね。慌てて救急車呼んで。私はさ、当然入院するものと思ってたんだけど、午後になったら帰ってきちゃったんだよね」

岡田さんは、そのときのことをヨウコさんに質問した。

「救急車乗ったの、覚えてる? ヨウコさん、病院の先生に『死ぬんならぽらりすがいい』って言い張って、それで帰ってきたよね?」

岡田さんの言葉に「フフフッ」とうれしそうな笑みを浮かべるヨウコさん。岡田さんはふたたび、しゃがれ声を張り上げた。

「ここじゃあね、そんなすぐに死なれたら困るの。いま91歳だっけ? あと9年、少なくともあと9年は長生きしてね!」

ヨウコさんは「はい!」と力強くうなずいた。入居者の多くは、岡田さんを「社長さん」と呼ぶ。ヨウコさんは言う。

「社長さんはいっつも元気。それに優しい。困ったことがあったら、いつでもすぐに来てくれるの」

その言葉を岡田さんにそのまま伝えると「元気じゃないと、逆に心配されちゃうんだよ」と笑った。

「毎朝、各部屋のカーテン開けながら、皆の顔色を見て回るんだけど。そんときに、気取った調子であいさつなんかしてっと『社長さん、大丈夫かしら』って、おばあちゃんたち言うのよ。だから、疲れてようと、どれだけ声がかれようと、腹の底から大きな声で『おはようございまーす!』って(笑)」

■病院に送ったほうが楽かもしれない。でも「ここで死にたい」という人をぶん投げるわけにいかない

現在、ぽらりすには岡田さんを含め8人のスタッフが働いている。そのうちの1人、保科梨絵さん(41)は、介護職歴16年、ぽらりすは3カ所目の勤め先だという。

「ほかの施設とのいちばんの違いは、社長と入居者さんの関係です。ほかの施設はやっぱり経営者とお客さまという感覚が強い。でも、ここはもっと家族的というか。社長は入居者さんにとって、時にはお母さんでもあるし、また、時には子どもでもあるんです」

なるほど、元気がないと見るや、心配して声をかけてくるのは、皆がここをわが家、そして岡田さんを家族と思っているからなのだ。

あまたある高齢者施設。だが、利用者や入居者の最期を看取ってくれるところは思いの外、少ない。“いよいよ”となれば病院に送られ、病室で最期を迎える人がほとんどだ。だが、ぽらりすは違う。本人や家族が希望しさえすれば、岡田さんたちは、最期のその瞬間まで付き添う。岡田さんはこれまで、30人近くを看取ってきた。

「入居者さんの呼吸が弱くなってきたら、スタッフは最低1人、ずっと付きっきりになる。もしかしたら、病院に送ったほうが、私たちは楽かもしれないよね。でもさ、『ここで死にたい』って言われたらさ、そんなふうに言ってる人をぶん投げるわけにいかないじゃない」

そして、その瞬間が近づいてきたら、岡田さんは入居者の家族を呼んで極力、一緒に看取るという。

「昔は自宅でじいちゃんやばあちゃんが逝くのを、皆で感謝しながら見送るのが当たり前だったでしょうよ。だから、お子さんやお孫さんたちに、家族の死をなるべく見せてあげんのが、私はいちばんいいことだと思ってるんだよ」

【後編】入居者も介護者もひとつの家族“理想的なついのすみか”「ぽらりす」へ続く